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《ブラジル》200周年に向け絆強める=小禄田原字人移住100周年=総勢1200人で盛大に

乾杯に沸いた記念式典

乾杯に沸いた記念式典

 先駆者への感謝を胸に心繋ぐ百周年にー。ブラジル小禄田原字人会(与儀昭雄会長)は、『移民百周年記念式典』を8月27日、サンパウロ市内の客家会館で盛大に開催し、およそ1200人のウルクンチュが一堂に会した。一年がかりで準備された式典では、一世紀の移民史を描く歌舞劇が披露され、次なる200周年に向けて絆を更に強めた。

 午前10時、先亡者追悼慰霊法要は浄土宗日伯寺稲場ペドロ導師による進行で始まった。献楽、献花、献茶に続き、追悼の言葉が述べられ、読経のなか出席者は焼香に列を成した。続いて、正午から記念式典に移った。
 挨拶に立った与儀会長は同字人の移民史を振り返り、「多くの苦難と失望にも関らず、先駆者は大きな決意、忍耐力、自尊心で困難を克服し、今日の社会の強固な基盤を築き上げた」と深甚なる感謝の意を示した。

二階席まで一杯となった会場

二階席まで一杯となった会場

 その上で、「ウルク・タバルンチュの移民が持ってきた習慣を引継ぎ、ゆいまーるといちゃりばちょでーの精神で、一生懸命社会に貢献する義務がある」と襟元を正し、次なる200周年への意気込みを見せた。
 式典では、照屋武吉副会長、上原テリオ実行委員長ほか、上原直字小禄自治会長、與儀進榮字田原自治会長、高良忠清字小禄財産管理運営会顧問、高良ハワード小禄字人会会長代理らが祝辞を述べた。
 来賓や85歳以上の敬老者68人、二世最高齢者への記念品が贈呈されたほか、歴代会長へ感謝状が授与された。鏡開き、乾杯、ケーキカットが行われると会場は祝賀ムードで熱気を帯びた。

 

琉球ミュージカルに感涙=苦闘の移民史を歌舞で再現

 昼食後、盛大に行われた芸能祭は『島の情き~心繋ぎ百周年』がテーマ。およそ300人が出演し、琉球王朝時代から一世紀に及ぶ同字人の移民史や未来に込めた力強いメッセージが、次世代を担う若い世代を中心になった歌舞劇、いわば独自の「琉球ミュージカル」によって壮大に描かれた。
 たっぷり2時間。なかでも、移民船に乗り込む際の家族との別れを演じた「ハワイ節」や、コロノの過酷な一日の労働を終えて満月に照らされ故郷を思い涙した「汗水節」など、迫真の演技の数々に会場は万雷の拍手が巻き起こった。
 戦火や抑圧など筆舌し難い苦難を乗り越えて、力強く人生を歩んできた先人の姿を克明に描いた映像とともに、琉球國祭太鼓が圧巻の演奏を見せると、涙を流した来場者が後を立たなかった。
 先人のお陰で築かれた平和や豊かさをコーラスやレキオス芸能同好会によるエイサー太鼓、現代ダンスなどで見事に表現。「島唄」や「島人の宝」の名曲とともに連綿と続くウチナンチュの心を一つに繋いだ。
 最後は、出演者や運営を支えたスタッフ全員が舞台前方に集まって挨拶し、参加者と入り混じって会場がまさに一体となってカチャーシーで慶事に喜びを分かちあった。あちこちから「ピュ~ッ」と威勢の良い指笛が響き渡るなか、大盛況で幕を下ろした。

 

世界と繋がるウルクンチュ=結束の秘密は門中にあり

 式典には、沖縄本土から43人、ハワイから8人の慶祝団を迎え、ウルクンチュの紐帯の強さを伺わせた。それを支えているのが「門中」だ。
 門中とは、始祖を同じくする父系の血縁集合体を意味し、同じ姓でも屋号を見れば血縁関係にあるか否かが区別できる。当地では同字人の苗字は上原、高良、照屋、金城、与儀の5姓でほぼ占められるため、門中や屋号によって親族かどうかが区別されるという。
 今回、一族の歴史を知るため今回初めてブラジルを訪問したというハワイ移民の照屋シンチャ・チュンさん(58、三世)は、門中を手がかりに親族との繋がりを強めた一人だ。
 「祖父の弟がブラジルに移民してきたことは知っていたけど、屋号を調べたら当地に400世帯も親戚がいた」と嬉しい驚きを上げた。
 「ハワイ移民の歴史は古く、四世の子供たちは英語しか話さず、混血化も進んでいる。一世や二世も亡くなり、話を聞ける人もいなくなってしまいました」と語る。百周年という節目に「一族の歴史を残したい」と家族と相談した上で、参加したという。
 「今後は、沖縄に行って調べるべきことも出てきました。自分のルーツをどうしても知りたいから」と遠く見つめた。
 「当時は貧しく、耕地を分割するとさらに貧しくなった。だから富を築くため海外移住が勧められたんです」―。そう証言するのは、高良忠清顧問(80)だ。それだけに、同字人にとって移民は切実な問題だった。
 同字人は、ハワイ、伯国、フィリピン、南洋諸島へと移住。「戦前早期には在外字人からの送金が村の収入の3割近くを占めたこともあった」と語り、紐帯の強さを偲ばせるエピソードだ。
 高良さんの祖父は、1917年にブラジルへ移民。コロノや鉄道工夫として働くも、マラリアを患い27歳で病死。日本に残された父は曾祖母に育てられたが、移住先のフィリピンで戦死したという。
 在ブラジル同字人会との交流は、25年以上前に優勝旗優勝杯を持って、ビラ・カロンやカーザ・ベルデで野球やバレーボールの試合を行ったのがきかっけ。「ブラジルには従兄弟が14人。日本よりも親戚が多いんですよ」と語り、国境を越えた繋がりの強さを物語る。
 「昔のウチナーグチがそのまま残っていて、大変立派。ウチナンチュは大人しく、権利意識を持たない。だから垣根が低く現地と融和し、立派なブラジル人として認められ繁栄している。これが成功のもとなんでしょう」と誇らしげに語り、慶事を喜んだ。

 

激戦地と化した字小禄=人口のおよそ3割渡伯

 小禄字と田原字は、旧小禄村の一部で、現在の沖縄県那覇市に位置する。在伯沖縄県人有志の働きかけにより沖縄県人に対する伯国渡航禁止が撤廃された1917年に、20家族39人が移住したのが始まり。その後、洪水のように同字から移民が押し寄せた。
 その後、日米開戦前の41年までに484人が移住。戦時中、同字の御嶽の高台に南西諸島海軍航空隊が陣地を構築したため、米軍の艦砲射撃を受けるなど激戦地と化した。戦後、ボリビアからの転住組みも併せ532人が移住し、戦中戦後併せて当時の人口のおよそ30%近くが移住したという。
 同字人会は、ボリビアから転住した照屋弘氏を中心に67年に発足。現在、子弟を含め5千人以上に上り、ビラ・カロン、カーザ・ベルデ、サンタ・マリアを中心に居住し、在伯沖縄県人会の支柱を支えている。

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