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パラグァイの和牛生産事情=300頭、ハヤシ牧場訪ねて=アスンシオン在住 坂本邦雄

寿会の一行に説明する林さん(中央)

寿会の一行に説明する林さん(中央)

 アスンシオン市寿会(老人クラブ)の一同は11月27日(月)、在バレンスエラの和牛飼育牧場を見学した。例によって神内日系社会福祉センターから定刻8時半にダブルデッカーバスで出発し、11時半頃に「ハヤシ牧場」に到着した。
 この日は月曜日の事でもあり、参加メンバー数は35人に過ぎなかったが、一行は林英二郎さん(えいじろう、愛知県名古屋市出身、63)と共に待機していた、会員の小原シゲ子さんやご家族の皆さんに温かく迎えられた。
 因みに(旧姓)シゲ子さんは、ラ・コルメナ尋常小学校の頃から筆者の同級生で親友だった故小原君の未亡人で、長女が林さんの奥さんで、詰まり林さんのお姑さんである。
 筆者と同じく元ブラジル移民だった小原力(おばら・つとむ)君は惜しくも既に27年も前に早世した。だが、彼が好きだった牧畜業にそって、婿さんの林さんが今は立派にパラグァイで和牛飼育業の先鞭をつけた。家族ぐるみで和牛肉をメイン食材とした複数のレストランをアスンシオン市内で経営し、成功されている事は、故人も草葉の陰でさぞかし本懐だろうと一入感慨の念に耽った。
 元々、林さんは戦後イグアス移住地に進出して来た大森農牧・CAOSA㈱の幹部スタッフとして、1970年代にパラグァイに移住した人だが、同社が2003年に撤退した後で独立し、旧会社で試みた和牛の飼育事業を継承した。
 その目的で、林さんはアスンシオン市から107キロの、コルディリェラ県バレンスエラ町の手前5キロの地点に所在する、昔はサトウキビばかりが植わっていたと云う、35ヘクタールの適地を8年前に購入、施設・設備も改良し、黒毛和牛の集約飼育を本格的に始めた。
 現在は大きな牛舎3棟が建っていて、常時300頭の和牛を人工授精で効率的に繁殖、飼育している。
 見ると広い放牧地は余り無い。餌は刈り取った草を枯らして発酵させ、効果的に混合飼料に使っている。
 土地の狭い日本では、和牛を一頭一頭手塩に掛けて、ビールや酒を飲ませたり、マッサージ等をして、大切に育てるそうだ。だが、パラグァイで何百頭もの和牛飼育は、そんな訳には行かないだろうと林さんに尋ねたところ、ここに移って来る前に一時期、臨時的に牧場に使っていた所では、ビール会社が近かったので、無料でビールの絞り粕を貰って来て牛に食べさせていたが、効果は上々だった。
 牛も好んで食べたが、中には食べ過ぎて酔っ払い、良い気分になっていた様だ。
 でも、ここは遠いので運賃が高くついて食わせられないので、別な方法を講じて上手く遣っているとの事だった。
 日本で和牛の出荷時の成牛の体重は、普通650~750キロだとされるが、林さんの牛は平均700キロである。

飼育されている和牛

飼育されている和牛

 パラグァイでも、林さんの努力で徐々に和牛肉の知名度が高まって来ているが、さらに画期的に広めるには、肉と言えばアッサード(焼肉)が代表的な一般のパラグァイ人の、大食い好みの嗜好を気長に変えて行かなくてはならないだろう。
 幸い、世界的に日本食の良さが近頃はブームになって来ているところ、2013年12月には、和食が国連ユネスコで無形文化遺産に登録された事は、確かに和牛肉普及の良い追い風になっていると思われる。
 和牛肉は普通の肉よりも割高だが、「良い物は高い」という当然の道理で、その消費が抵抗なく、中産階級以上のみならず、一般にも和食と同じ様に、将来更に広まるならば大喝采である。
 その先駆けとして林さんのパラグァイに於ける和牛飼育事業及び和牛メニューの紹介と宣伝の為のレストラン経営は正解だと言えるのではなかろうか。
 最後になったが、パラグァイに長い筆者も、バレンスエラへ行ったのはこの度が初めてである。
 知っていたのは、筆者がアスンシォンで苦学していた頃に、中央銀行に勤めながら筆者と一緒に夜間学校に通っていた、エルネスト・ロドリゲスと呼ぶ同級生の出身地だと云う事だ。
 今回、もし時間があればバレンスエラ町で店を営んでいると、ある時に聞いたこの友人が未だ達者でいるか尋ねて見たかった。
 なお、ストロエスネル政権時代に、日パ外交史上、初めての駐日特命全権大使として赴任した(1956/61年)、故ニコラス・デ・バリ・フレチャ・トーレス技師の出身地でもある。ちなみに、日パ国交関係は1919年11月17日に通商条約が結ばれたのに始まる。
 そして、その後1922年に大統領令第14・888号によってパラグァイ領事館が東京に創設されたに拘わらず、漸く1956年11月19日になって初めて、前記のフレチャ・トーレス大使が任命され、駐在するまでは、日本にパラグァイの大使館が恒久的に置かれる事は無かった。
 日パ両国交流関係のメインをなすのは長期に亙り、ラ・コルメナ移住地に始まるパラグァイへの日本人農業移民の導入にあった。
 現在に至って、両国外交関係は現行の日パ移住協定の他にパラグァイへの有償無償の経済援助、技術協力が益々活発化、強化の時代を迎えている。
 そして、再来年の2019年には、日パ国交樹立100周年と言う大きな節目の二国間記念行事が控えている。

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