ホーム | 文芸 | 連載小説 | どこから来たの=大門千夏 | どこから来たの=大門千夏=(11)

どこから来たの=大門千夏=(11)

 老婦人と別れて歩き出した私は、沈んだ一人息子の話をサバサバと語ってくれた事がとても心に引っかかった。
 息子に死なれて、あれから何年たっているのだろうか。一〇年たって子供をもらったという。その子が今、三〇歳になった。それでは四〇年経つのだろうか。
 一人息子を亡くしたことは、夫を亡くした私よりずっとずっと悲しみが大きかったに違いない。それでも次なる目的を持って生きてきたのだ。拍手喝采といいたい。
 それに反して私は夫が亡くなって二五年にもなるが、あの日の悲しみが昨日の事のように思い出され、話題にされただけで、落ち込んでしまうというだらしなさである。
 しかし四〇年もたつと、達観してサバサバと話せるようになるのだろうか。そんな日が来たら、あれっ、そうだ私は九〇歳になっている。
 夫の写真を見せられたら、「だーれ? ヘンナ男。知らないわねー」と、サバサバと言うんじゃあないだろうか。
 おまけに言いたいことをぬけぬけいう私の事だから、「あれから私はずーっと一人でいたの、亭主いないってほんと、ラクーな人生!」なんて付け加えるにちがいない。(二〇一五年)

第二章 幸運の樹

 我が家の隣に、ロシア人の家族が住んでいた。一九八〇年頃のことだ。
 ここのおばあちゃんは毎朝、庭を歩き回って七種類の薬草をつんで、特大のやかんに入れてお茶を作り、それから家族の朝食の用意をするのが日課だった。
 大柄な人で、もう七〇歳をとっくに過ぎているのに身長が一七〇㎝は優にある。ユサユサと体をゆすって歩くその後ろ姿が私の祖母にそっくりで、懐かしくてよく遊びにいった。
 ある日の午後、おばあちゃんの家の台所でおしゃべりしていたら、良い匂いがしてきた。なんだろう。シナモンのようでちょっと違う。
「あら何の匂い?」
「月桂樹だよ」
「えっ、どこにあるの?」
「ほら、そこにあるのがそうだよ」
台所のすぐそばの一抱えもある太い幹を指さして、この「月桂樹」の香りだという。
「月桂樹の葉って、あのシチュウに入れる?」
「そうだよ。あの葉をいれると、不思議にシチュウがおいしくなるんだよね。でもそれ以上にこの木は幸運の樹なんだ。庭に植えておくと雷や稲妻から家や人間を守ってくれるよ。本当だよ。だから引っ越すときはこの樹も一緒に持って行くのがいい。置いて行ったら幸運まで置き去りにして行くことになるからね」
 樹を見るのは初めてだ。枝がつんつんと上に向かっていて姿形はよくないが、いま、空が見えないほど葉が繁っている。
 なるほどこれがいつもスーパーで買う月桂樹の葉なの…としばし眺め、遠慮しながら少しもらいたいと言うと、おばあちゃんはにっこりして「ウンウン、後で」と言った。でも一向にちぎってくれるようすはない。
 手の届くところの葉を五?六枚、すぐに取ってくれてもいいだろうに。けちだなと思いながら、なおもおしゃべりして、帰る時にもう一度、遠慮しがちに少しいただきたいと言うと、おばあちゃんは又もにっこりして、さっきと同じ「ウンウン。後で」と言っただけ。ちぎってくれるようすはさらさらない。

image_print