どこから来たの=大門千夏=(13)

 いつだったかバンコックの街で、切った街路樹の枝を、象が軽々と鼻で束ねてくるくると巻きあげ、上手に背中に乗せ、次々と積みあげている光景を見たことがある。瞬くうちに積み終えると何処かにゆったりのっそりと遠のいていった。
 あの象一頭の方がずっと早く正確で、木と機械より、木と象のほうが人間の生活にぴったり調和しているのを見て、なぜか安らぎさえ感じたことなどを懐かしく思い出した。
「可哀そうにな、皆、白アリに食われてしまって、中は空っぽだ」市役所の人だろうか、五〇歳くらいの背の低い小太りの男が傍に立って言った。
「何年くらい経ってるの?」
「八〇年かな、白アリにやられなかったら二〇〇年は生きるんだ。アマゾンなら二〇〇年生きてるよ」。幹の下の方は完全に空洞で、樹皮だけでこの大木を支えていたのだ。
「これ以上背が高くなるの?」
「いや、このくらいだ。これ以上は高くならん」男は空を見上げた。ぽっかりと大きな青空が広がっていた。
「誰か怪我をしたの?」
「ん? だれも」
 そんなはずはない。あの血では相当の怪我だろう。傍に大きな電気ノコを持った色の白い若い男がぼんやりした目をして座っていた。これを使って八〇年の命が二分で終ったのだ。
 ふと見ると、上のほうの株は白蟻に食いつくされていないので、幹の年輪がはっきり見える。切り口から一㎝上の部分にぐるりと、真っ赤な樹液が滲みだしている。どう見てもまるで血の色だ。
「これは何?」
「泣いているんだ。ホラ、木は切ったら泣くだろう」
「でもこの赤いのは?」
「うん。この木は血を出すんだ。人間と同じだよ」
 見る見るうちに水滴は、大粒の涙のようになって、ほとばしっている。手でさわると粘っこくて、ミカン色がかった赤色だった。樹液と言うのは透明な液体だとばかり思っていたが、この木は真っ赤な色をしている。人間の血と同じ色をした樹液があるなんて。
「残っている根っこはどうするの?」
「これも引き抜くんだ。でも又ここに同じ木を植える。三〇年もしたら立派になるよ」
 三〇年――私は幾つになっているのだろうか、その時はもう見あげることは出来ないのだ。天空から見下ろしている私。
 その木の下を子犬をつれた曾孫が通りかかる。私の事は知らないし、想像することもないだろう。三〇年――でも木は今と同じようにここに立って、日陰をつくり、街の人に感謝され、じっと曾孫
達を見守ってくれるにちがいない。
 三〇年――世界は平和に穏やかに進んでいるのだろうか。     (二〇一三年)

幸せのひととき

 玉手箱を持っている。
 と言っても、これは古びた段ボール箱。
 何を隠そう。中身は発掘品の石斧、石の刃物、矢じりなどのコレクションで、ほとんどがブラジル・インジオの作品だ。
 この玉手箱からはエネルギーという煙が出ているらしく、開けるたびに石器時代の世界に舞い戻って、若返った気分に浸る。
 一つずつ取り出して両手で撫でて、この冷たい感触に満足する。この素朴な品一つ作るのにどれだけの時間と神経を集中してきたことだろう。
しかしわが娘は事あるごとに「こんなものがねー物好きねー」と軽蔑を込めて揶揄する。