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陶芸の街・サンパウロ州クーニャ市=初めて開窯した日本人女性

請関さん(前列左から2番目)とツアー参加者ら

請関さん(前列左から2番目)とツアー参加者ら

 陶芸の町として知られるサンパウロ州クーニャ市には、約20の工房が点在する。旅行会社のトレンディ・ツーリズモ(関根いつ子社長)は工房を巡るツアーを昨年10月21日に実施。ツアー一行は、この町で初めて工房を開いた日本人女性、請関(うけぜき)美重子(71、三重県)を訪ねた。請関さんから陶芸の町としての成り立ちが語られ、町の歴史を紐解く旅となった。

 サンパウロ市からクーニャ市までは約4時間の道のり。請関さんの工房には小皿やマグカップなど日常で使うものから、大きな器や壷まで様々な陶器が並ぶ。
 請関さんは福岡県で小石原焼(こいしわらやき)を学び、75年にポルトガル人の陶芸家と共にブラジルに移住。工房となる場所を探していたところ、市長の呼びかけでこの町に決めた。
 クーニャはサンパウロ州で二番目に大きい市だが目立った産業がなく、市長は観光客の誘致に関心を持っていた。しかし、請関さん工房を建ててからすぐには観光客は増えず、作ったものはリオやサンパウロに持っていって販売していた。
 80年代になると海外から次々と陶芸家が集まり、工房を開いた。しかし、まとまって作品が紹介される機会が無く、請関さんは88年、市内の陶芸家の作品を集めたショップ「casa de artesao(工芸家の家)」を設立。初代館長を務めた。請関さんは陶芸普及の功績を称えられ、設立から1年経った頃に名誉市民として表彰されている。
 その後は、徐々に陶芸に関心のある人が町に足を運ぶようになり、ホテルやレストランも増えた。請関さんの陶器も人気を集め始め、以降、作品を工房でしか販売していない。
 請関さんはここ10年で陶芸に対する考え方が変わったという。「以前は人の評価や意見を気にしていたけど、今は作品の良し悪しを自分で判断できるようになった」とし、「人が何を言おうと関係ない。自分が作りたいものを作っているので幸せです」と話す。
 クーニャ市は、現在、「陶芸美術館」の設立を計画している。そこには請関さんを含む8人の陶芸家の作品200点以上が展示される予定だ。
 8人の中には既に亡くなった人もおり、請関さんはその人たちの作品の一部を管理している。「自分の作品もだけれど、亡くなった陶芸家の作品が多くの人の目に触れることになるのは嬉しい」と笑顔で語った。

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 トレンディ・ツーリズモのツアー一行は、84年に渡伯した日本人の陶芸家、末永公子さん(68、東京都)の工房にも訪れた。末永さんは陶芸品に興味のある人に、工房まで足を運んでもらいたいと考え、88年から窯開きに人を招待し始めた。「窯開き」とは、2日かけて焼いた陶器数千個を窯から取り出す作業で、年に4回ほど行なう。今では観光客を中心に500~600人で賑わうという。次の窯開きは2月10日。詳細は末永さんの工房のHP(http://ateliesj.com.br/)で確認を。

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