どこから来たの=大門千夏=(20)

 障子に朝の柔らかい黄色い光が、冬は雪の白い光、雨の日は灰色のどんよりした光が当たっている。それをぼんやり見ている内に段々目が覚めてくる。――と、急に「朝がきた!」と嬉しくなる。すぐに腹ばいになって枕の向こうの皿の上を見る。手を布団からそっと出して皿の上のお菓子をつかむと、それを布団の中でごそごそと食べる。
 食べ終わると機嫌よく歌でも歌いたい気分になるのだ。そのせいか、私は今でも寝起きがもうれつ良い。
 ここまで話すと夫は「汚い習慣だなー君の家は。聞いたことないよ、朝、布団の中で物を食べるなんて、歯も磨いてないんだろう」と言った。
 このことを母に話すと、
「まーなんてことを言うの、おめさはあなただけにしてあげたのよ。それでも最後のころは 食糧難でおめさには苦労したのに罰当たりね、妹たちには一度もおめさはなかった。貴女だけでしたよ」…そうだったの、ごめんなさい、ごめんなさい。
 この目が覚めるとすぐに食べるという習慣は、そのまま七〇年たった今も続いている。
 目が覚める、ベットから降りる、そのまま台所に直行。冷蔵庫を開けてつまみ食いをする。
 胃袋が空っぽのせいか何を食べても美味しい。ああ夕べあんなに食べないで、もっと残しておけばよかったと毎朝、後悔する。
 食べ終わると昨日出会ったイヤーな人も、むかつく人も、意地悪な人も、みんな許せる気分になってくる。今もって続いている「おめさ」の効用なのだ。
 夫は、朝は食欲がない、食べるより寝ていた方が良い、と理解に苦しむことを言う。
「ほとんどの人間は朝、食欲がないもんだ。君の方がおかしい」という。そんなもんですかね。
 然し私のいやしさの原点はこんな単純なものではない。一体どこから来たのだろうか。これは常々疑問だった。
 あるとき母と話していると、思い出話をして、ふと言った。
「貴女が赤ちゃんの時、毎晩泣かれてね、夜中に抱いて廊下を行ったり来たりしたものよ。私のお乳が少なくていつも空腹状態、飢餓状態だったわけ。しかしお乳の少ない人は栄養分が高いんだって。だからあなたはコロコロよく太っていて健康そのものって顔をしていた。まさか空腹で眠れなくて泣いているとはゆめゆめ思わなかった。いつも満腹感がなかったのよ、かわいそうなことしたわ」
 空腹で泣きわめく…乳首をくわえたら泣き疲れているので安心してそのまま寝てしまう。おなかがすいてすぐに目が覚めてしまう。泣く…その繰り返しだったらしい。
 そうなんだ。私は物心つく前からずっと飢餓状態を味わっていた。だから今もってずっといやしんだと、やっと理解し、納得できた。
 これを聞いてからは安心したのか、あまり食べる事に執着しなくなった…とはいえ、子供のころから腹を立てると「やけ食い」することはまだ治らない。
 然しどんなに我がままをしても食べ物だけは決して捨てない。毎日手を変え品を変えて必ず最後の一切れまで食べる。これはケチもさることながら、祖母から譲り受けた食べ物への信仰心ではないかと思っている。
 先日、友人とレストランに行った時、食べきれなくて残してしまった。そこで「お持ち帰り」を頼むとウエイトレスは気持ちよくすぐにアルミの箱に入れて包んでくれた。