どこから来たの=大門千夏=(37)

 九月中旬。母の九〇歳誕生祝いのために、私は日本に飛んだ。
 父亡きあと三五年、一人でよく頑張って生きてくれたと驚きと共に感謝をしている。母がいるから日本にも行く気がおき、母が生きているから私も頑張ってこれた。時に辛辣に容赦ない批判をしてくれる母には腹も立つが、やはり「この世で一人」の存在だ。誰よりも私の味方であるし、誰よりも私の幸せを願ってくれる人だ。
 ある時、「私は老後、寂しいんだって」母は自分の手相を見ながら昔、占い師に言われた事が未だ頭にあるらしく、ため息交じりに言った。
 「それから私の生命線、長いでしょう、手首まで伸びているのよ、いやになるわー。生徒がね(母はお茶の先生をしていた)、先生こういう手相を持っている人は、ものすごく長生きをするんですよ、たとえ飛び降り自殺をしても途中で松の木に引っかかって死ねないそうです…と言うのよ」母はおかしそうに残念そうに、じっと手を見ながら言った。
 今回、誕生日祝いに三人の娘が早めに母のもとに集まってきてくれて大変満足の様子で、会食に着てゆく着物をあれこれ並べて嬉しそうだった。
 当日、母は新調した茶色の着物を着て嬉々として娘に囲まれてレストランに行った。膝が痛くて杖をついてよちよちと歩く姿は、昔の気の強い母の姿とはおおよそ縁遠く、年を取ることの残酷さを見せつけられるようで私の胸は痛んだ。
 生まれた時から町中の生活をしていた人だ。歩いて三分のところには広島一の繁華街が今でもある。年中大勢の人が歩いている、あらゆる店が並んでいる。母の好きな昔からある「しにせ」がだんだん無くなり、今では若い人向きの店ばかりになったのが淋しいと言いながらも、それでもおしゃれをしてここを歩くのが大好きな人だった。
 つい最近まで週に二回はデパートめぐりをして…それもデパート三館、上の催事場から地下の食料売り場までくまなく見て歩く。子供の時からの習慣と言うのだろうか、とにかく外出の好きな人で、それ以上に買い物好き。
 「私はもう一度デパートに行けるようになりたいわ。行きは電車に乗って行くの、それから帰りは買い物袋があるからタクシー。週に一回行けたらいい。それが今の望み」と杖を片手にため息交じりに言った。
 一〇月中旬、母が亡くなる丁度五日前だった。両の手の平を合わせて指先をもじもじと動かしながら、「あのね、私のいちばーん幸せな事はね、娘三人と一緒に居ることなの」と下を向いて少し恥ずかしそうに小声で言った。…九〇歳にもなってまだ子離れできない母に私はうんざりして、「ふーん」と気のない返事をした。
 「そうだ三人集めようか」私をまっすぐに見て、急に目を輝かして口元に笑みさえ浮かべている。
「名目は?」
「私の九〇歳の誕生日」
「あら、この前済んだじゃあないの」
「あれは貴女がブラジルから来てくれたので歓迎会だったの」
「えっ、私はお母さんの誕生祝いに来たのよ、それにもうすぐ私は帰るのに」
「だからこそ、三人集まるの」
「次女は嫁と孫が来るので大忙しだし、三女は娘とディズニーに行くので今、気ぜわしいしいの、迷惑よ」と冷たく言うと途端に母は下をむいて口を少し歪めて、大きなため息をした。