ホーム | 文芸 | 連載小説 | どこから来たの=大門千夏 | どこから来たの=大門千夏=(62)

どこから来たの=大門千夏=(62)

「結婚相手よ。これから食事に行くの、今から出かけるけどごめんね…あの人ね、オ・オ・ガ・ネ・モ・チ」と言っていたずらそうにウインクした。
 ハンドバックから口紅を取り出すと、売り物の鏡の前でもう一度化粧直しをしてソワソワと使用人に二言三言話してから、「じゃあね、また来てね」と言って出口の方に向かった。
 とびらの前で振り返って、店中に響くような大きな声で、「あんた絶対整形したほうがいいわよ。それから髪も染めなきゃね」そう言うと尻を振って体中から女を発散させながら出かけて行った。
 雨は小降りになった。
 来た道をゆっくり戻りながら、今更顔を整形したって頭の中まで整形できないならば「遅きに失した」ということであろうか。今生は馬鹿にされてもしようがない。
「一度しかない人生、賢く、したたかに、うまく生きて行く」としっかり記憶して、あの世にまで持ち越しとしよう。――ム、ム、来世こそガンバラなくちゃ。
 再婚ってそんなにいいものなのかなー。この年になると母が言うように案外「人生最高は一人」じゃあないかしらと悔し紛れにつぶやいている。
            (二〇〇九年)


首飾り

…この人美(よ)き玉有(もた)り、愛しみて固く秘す。定めて命に服(まつら)ふことを肯(うべな)はじ。

 これは「肥前国風土記」(八世紀成立)の中の一節である。美しい玉をもっている。大切にして誰にもいわず誰にも見せず一人眺めて楽しんでいる。たとえ天子の命令であってもこの玉を手放すことはしない。
 この玉というのは、かつてシルクロードを通って来たガラス玉だったのではないだろうか。さぞかし珍しく、美しく、魅惑的だったのであろう。
 しかし玉くらいで大変な愛着心と執着心である…とは言うが、私だって「玉」を戸棚の奥からそっと出して、時々一人で眺めてウヒヒと喜んでいるさまは千年以上昔の人間となんら変わりはない。
 ただ私の好みは、きらきら光る宝石、ダイアモンドの類ではなく発掘品のまだ土まで付いているような汚らしい玉が「愛しみて固く秘す」なのだ。
 知り合いのペルー人がめずらしく発掘品のくびかざりを一本持ってきてくれた。もちろん即座に買った。やっと手に入った! 「求めよさらば与えられん」本当にそうだ! この冷たい石の感触を両手に握りしめて「私のタカラモノ!」と思わず叫んだ。
 いつ頃のものだろうか…五〇〇年から一〇〇〇年前のもの、ペルーのチムーか、チャンカイ文化時代のものに違いない。
 特別人目を引くわけではない。派手さはない、地味な首飾。知っている人が見て初めて「えっ」と思うだけである。誰も知らないからかえって自尊心を満足させてくれる。
 一つ一つの玉をそっと見る。虫めがねで覗き込んでじーっと見る。親指と人差し指で丸を作ったくらいの俵型水晶が真ん中に一つ、両脇にその半分くらいの水晶が二個、この三つの間に小さなトルコ石(これは長年の風化作用で青緑色が白っぽくなっている)、ウミギク貝(たくさん突起の出た赤い二枚貝で、あの時代にはとても珍重された)、メノウのビーズが並んである。どれもみんな糸を通す小さな穴を手であけてある。

image_print