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どこから来たの=大門千夏=(72)

 残されたコレクション

 長らく雨の降らない日が続き、埃っぽく、喉はイガイガする、眼は赤くなる、こんな四月のある日、派手な服を着た、どこか落ち着きのないブラジル人女性が私の骨董店に入ってきた。
 母親が二ヵ月前に亡くなったので品物を整理したい事、生前、コーヒーカップを何年もかけてコレクションしていたので、ものすごい数があるから買ってほしいという。
 コーヒーカップは一番売りやすい品だし何時も探している品だ。私は喜んで、二つ返事で是非とも買いたい事を告げ、早速日時を決めて、夕方彼女の家を訪ねた。
 イタイン区にある軒口の広い、車が三台ゆうに入るタイル張りの新築家屋。しかし前庭に植物は一つも植わっていないし鉢植えもない。
「新しい感覚の家」「流行最先端の家」とはこんな建築なのか。モダンとは縁のない骨董屋の私は感心した。
 女中に案内されて中に入ると、応接間にはデコラ張りの家具が揃い、その頃流行の、ステンレスとクリスタルガラスを組み合わせ、周りを金色で囲った派手な食卓テーブルセットがあって、いかにも成金趣味に見えた。
 一二?一四歳くらいの男の子が、二人ソファーに寝転んでテレビを見て居り、私をちらと見たが挨拶をするわけでもない。
 間もなく帰ってきたご主人に連れられて私たちは母親の家に向かった。
 思いの他すぐ近くにあって、家の壁はペンキがはげ落ち、鉄格子はさび、もう何年も住人がいないような荒れ果てた大きな二階建て。腐りかけた背の低い木戸を押すと、すぐ目の前に枯れたプリマベーラの鉢植えが一つ転がっていた。
「プリマベーラね、花が咲いたらきれいなのに」と私が言ったが、女はイライラと植木鉢を、ハイヒールのかかとで思い切り蹴って道を作り、まっすぐ正面玄関に向かった。鉢はコロコロと乾いた音を立てて、あちこちに転がっている二〇個くらいある干からびた鉢植えの中にぶつかって止まった。
 庭の真ん中にイペーの木があって、今も青い葉をつけていたのがせめてもの救い、といった感じである。
「このイペー、花が咲くのかしら」
「……」若い夫婦には聞こえなかったらしい。いや植物には関心がないのだ。
 女は鍵を開けて古ぼけたニスのはげた扉を押した。途端にゾッとするほどの冷たい空気が私の全身を包んだ。そしてカビの臭い。入りかねてしばらく中の様子をうかがうと、入ったところは応接間らしい。正面の壁は黒い色、突き当りに右に少しカーブを持った階段がぼんやり見える。高い天井。この天井の向こう半分も黒い色。
 女は電気をつけた。
 天井から見事な大きなシャンデリアが下がっていて、その先に八つの電球がついている。しかし今、電気が点いたのは二つだけ。この二つの明かりは、部屋の黒々とした色を浮き上がらせて、大きな暗 い影を作り、まるで化け物のように覆いかぶさってくる。
 黒く見えたのは…なんだろう? よく見ると鼠色、茶色、黒と色々な色がある。白い壁の部分は褐色になっている。落ち着いてゆっくり見まわすと全面カビなのだ! 真っ黒いカビ、正面の壁、階段の柱、天井、まだらになってカビが覆っている。急に背筋がぞっとしてきた。

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