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どこから来たの=大門千夏=(80)

 家族皆で早朝から、山を下りて収穫物を売りに来たに違いない。帰りは売れたお金で必要なものを買って籠に入れて、又山に帰って行く。これが小さいときから営々と続いている彼らの生き方。唯一の現金収入の方法なのだ。
 五人の子供がじっと屋台を囲んでおばさんの手つきを見ている。
 まもなく二人の女性が傍に来た。途端に小さい男の子は背伸びして、並べられた食材をきょときょと見つめ、甘えた仕草で女性に何か喋って指差している。七人家族なのだ。年配の厳しい顔をした女性はおばあさん…と言っても五〇代。若い女性はお嫁さんに違いない。この子供たちのお母さんだ。優しく穏やかな表情をしている。
 お婆さんが注文した。子供達は嬉しそうに体をゆすって笑い声をたてた。それから屋台のおばさんの手つきと五人の生き生きした目が一緒に動き、首が一緒に動く。真剣そのもの。
 今日は籠の中の物がたくさん売れたに違いない。皆がラーメンを食べるのだ。やがてラーメン大が一杯出来上がった。…まずはお婆さんの丼にちがいない。
 母親がお金を払うと、おばあさんはこれを捧げるように両手で持って、舗道の隅に行って座った。その後を六人が喜々として続き、車座になり、一杯のドンブリは輪の真ん中に据えられた。母親は背中の籠を下ろすと、中から緑色の葉っぱで包んだレンガ半分くらいの大きさの物を取り出した。中には蒸したご飯が入っている。
 私はちらちらと、でも無遠慮にずっと覗き見している。
 男の子はすぐに小さな手を出して適当にご飯をちぎって口の中に入れ、それから手をこのどんぶりの中に突っ込んで中のうどんを少し掬って口に運んだ。次はお姉さん。順番に七人が同じことをした。決してたくさん口に入れる子はいない。
 一杯のラーメンが何度回ったのだろうか。そうして最後におつゆだけ残った。これも一口づつ回し飲みして、一杯のラーメンは七人のお腹にあっという間に収まった。朝食は終わった。
 しばらく家族は和気あいあいとおしゃべりを楽しんでいる。
 次はいつ食べるのだろうか。籠の中の物が全部売れたら…と言うことだろうか。いつも腹五分か六分目。代々皆こうして育ったのだ。これが当たり前の生活なのだろう。
 一生飽食を知らず、一生美食を知らず、質素に生きている人たちがいる。
 昨日私はラーメンを一人で一杯食べた。一昨日も。その前の日も。文句まで言いながら腹いっぱい食べ、それが当たり前だと思っていたのに、今日初めて恥ずかしい気持ちに襲われて、悲しくホテルに帰った。
 一言何か自分を弁解したかった。弁護したかった。
 何時までもこの光景が胸の中を去来し、重い気分で過ごしていたが、ある日一つの言葉が口をついてでた。
 「ごめんなさい」
 私は誰に言っているのだろうか。
               (二〇一一年)


 ウニと海鮮どんぶり(日本)

 一〇月、数年ぶりの日本の秋。広島の街を歩いていたら、百貨店の催事場で宮城県物産店をやっていた。復興のお手伝いに何か買わなくっちゃ。
 時間が早かったせいか、お客はまばらでゆっくり見て回った。牛タンが有名らしく何軒もあった。海産物屋も多い。

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