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どこから来たの=大門千夏=(82)

 「そうよね、治るわね」女性は自分に言い含めるように言ってから、
 「癌なの」と小さく沈んだ声で言った。こんな太った癌もあるの? それとも今始まったばかりだろうか。
 私は次に何を言っていいやら、頭の中がおろおろするばかりで言葉が見つからない。
 「来年の今頃…どうしているかしら」女は独り言のように呟いた。
 「大丈夫、大丈夫、元気になって仙台に食べに行けますよ」と私は明るく大げさに言いながら、自分はなんて無責任な人間だろう、それに意外とお調子者らしい。
 女は嬉しそうに「行きたいわー何だか必ず治るって思えるようになってきた。ありがとう」と礼を言ってくれた。
 今日は生きる楽しみができましたと丁寧に頭を下げてから、私に名前と電話番号を書いてくれ、来年一〇月に仙台ねと言って、初めてニコッと笑った。
 私も思わずつられてニッコリ。そうよ、と言ってしまった。一〇月に仙台に。私はいつの間にか約束したみたいだ。
 女が最後に見せた笑顔を思い出すと、来年は「ウニと海鮮どんぶり」を仙台まで食べに行こうと私も少々はしゃいでいる。
 しかし外国住まいの私、来年本当に日本に来れるのだろうか…。

 エピローグ

 この話を新潟の友人に話すと、十日ほどして、「あんたの言う、ものすごくい美味しい海鮮どんぶりなるものを友人と食べに行ってくるから住所と名前を知らせて」とメールが入った。
 「私の来年の夢を先に食べるって? ケシカラン」と言いながらも住所を知らせた。しばらくしてメールが来た。
 「仙台に着いて、レストランを探す前に、まずは震災のあった場所を見に行きました。あの無残な姿を見て、涙、涙、涙が止まりませんでした。食べる気持ちも気力も言葉も失せて帰ってきたのです。今、自分が生きていることをこんなに感謝したことはありません。海鮮どんぶりが素晴らしい出会いをくれました。ありがとう」
 もう一つ。
 あれから私は三年目に新潟まで行った。ここから仙台の「海鮮どんぶり」のおじさんの所に行くつもりだった。
 忙しい時間に迷惑かなと思いながら電話を入れた。電話は鳴っても鳴っても、誰も出てこなかった。
 もう一度、今度は夜、かけ直したが、やっぱり淋しい音で鳴り続けただけだった。
             (二〇一二年)


 ユー・ハッピイ?(ベトナム)

 「織物を見たければ少数民族のいるサパに行きなさい、特に刺繍とろうけつ染め」と数人の友人が言った。
 サパは中国とベトナムとの国境近くにあって、ベトナム側にある小さな町。海抜一五六〇m、昔はベトナムを統治していたフランス人の避暑地だったが、今はちょっとした観光地になっている。
 この町は、山の尾根にそって八mもない道幅の両側に土産物屋、レストランが並び、大勢の西洋人が行きかっている。そしているわいるわ観光客相手にモン族ザオ族という少数民族の老若女たちが背中に大きな竹籠を背負って、この籠の中には彼らが刺繍した作品、ろうけつ染めの作品、時には小さな子供まで入っている。

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