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それぞれの言い分と曲げてはならないもの

 ルーラ元大統領の逮捕命令が出たのは5日。サントアンドレの金属労組にこもり、支持者という人垣に守られて「連警が迎えに来るのを待つ」という6日の報道に「往生際が悪い」と呟いたら、「それは捕まって欲しい側の言い分」と言われてしまった▼5日は、ルーラ研究所前で元大統領支持者3人から暴行を受けた企業家が、トラックの荷台で頭を強打し、頭蓋骨骨折を起こす事件も起きた。その後、暴行を加えた3人を起訴と聞き、「酷い事件だ」と言ったら、別の人に「支持者を挑発したから」と切り返された▼ラヴァ・ジャット作戦開始から4年余りになるが、労働者党(PT)の政治家への捜査や逮捕といった報道が続いた時、「民主社会党(PSDB)の方がもっと酷い収賄事件を起こしている」と言った人もいた。何事も一度には対処出来ないから、PSDB関係者は民主運動(MDB)や進歩党(PP)の関係者の後に捜査対象となるだろうと言ってみたが、「なぜPTだけ悪者にされるのか」との不満顔は消えない▼確かに、いくら叩いても埃の出ない政治家は少ないし、清濁併せ呑む事が器の大きさの証とされている部分もある。だが、間違った事をしても、「あの人もやっている」で通ってしまえば、誰も襟を正さなくなるし、善悪の判断基準は簡単には変わらないはずだ。ジョアキン・バルボーザ元最高裁長官が人気を博したのは、メンサロン裁判で政治家にも厳しい判断を下し続けたからだ。最高裁にも「法の番人」と言い難い判事はいる。だが、今だからこそ、他者の言い分は認めつつ、曲げてはならないものは保つ姿勢が求められるのではないだろうか。(み)

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