日本将棋連盟が記念駒寄贈=移民110周年のお祝いに=8月大会決勝で使用予定

日本将棋連盟を代表して海外普及事業担当の森内俊之専務理事と外国人初プロ棋士のカロリーナ・ステチェンスカさんが駒を贈呈。駒は山形県天童市産の黄楊製手彫り駒。駒箱には佐藤康光会長の署名と座右の銘である「研鑽」の文字が揮毫されている

日本将棋連盟を代表して海外普及事業担当の森内俊之専務理事と外国人初プロ棋士のカロリーナ・ステチェンスカさんが駒を贈呈。駒は山形県天童市産の黄楊製手彫り駒。駒箱には佐藤康光会長の署名と座右の銘である「研鑽」の文字が揮毫されている

日本将棋連盟の佐藤康光会長

日本将棋連盟の佐藤康光会長

 ブラジル日本移民110周年を記念して、日本将棋連盟(佐藤康光会長)がブラジル将棋連盟(吉田国夫会長)へ将棋駒を寄贈した。寄贈された駒は7月の県連日本祭りで展示、8月にサンパウロ市で行われる第71回全伯名人戦大会の決勝戦で使用される。

ブラジル将棋連盟の吉田国夫会長

ブラジル将棋連盟の吉田国夫会長

 駒の寄贈は5月15日、ブラジル将棋連盟役員が東京の日本将棋連盟会館を訪問した際に行われた。ブラジルの石川達也理事が当地での将棋の普及状況を報告、日本側の森下卓、森内俊之両専務理事、カロリーナ・ステチェンスカ女流棋士らが立会い、その場で駒の贈呈も行った。
 寄贈された駒は山形県天童市産の柘植製手彫り駒。市場価格5万円相当の高級品で、駒箱には佐藤康光会長の署名と座右の銘である「研鑽」が揮毫されている。
 佐藤会長は共に寄せた祝辞で「ブラジル日本移民110周年、誠におめでとうございます。ブラジルは移民の始まった時代から将棋を親しまれる方が多く、将棋が大変盛んな国と伺っております。ブラジル将棋連盟の長年の普及活動に感謝申し上げます。揮毫した『研鑽』にはコツコツと勉強を積み重ねるという意味があります。これからも将棋を親しまれる方が少しずつでも増えることを願っております」と語っている。

大人大会の様子。毎度40人ほどが集まり、日本の将棋道場の様な雰囲気

大人大会の様子。毎度40人ほどが集まり、日本の将棋道場の様な雰囲気

 森内俊之専務理事はブラジル将棋連盟の活動に対して、「将棋は少しずつ国際化の道を進んでおり、ブラジルの様な大国で将棋を楽しむ方が増えるのは大変ありがたいことです。南米地域全体として更に多くの人に楽しんで頂けるよう将棋連盟としても力を入れて取り組んで参ります。今後ともよろしくお願いいたします」とコメントした。森内専務理事は所謂〃羽生世代〃の強豪棋士の一人で十八世名人の資格者。

子供大会は毎回50人ほどが参加。動物将棋の部と本将棋の部に分かれて行われる

子供大会は毎回50人ほどが参加。動物将棋の部と本将棋の部に分かれて行われる

 カロリーナさんも「将棋は本当に面白いゲームです。世界中で楽しむことが出来るよう普及活動一緒に頑張りましょう」とコメントした。彼女はポーランド出身の初外国人プロ棋士。「世界中の将棋愛好家が情報交換できるように」と海外向け将棋雑誌「International Shogi Magazine」を主宰している。今月にはプロ棋士になるまでの軌跡をアニメ化した「すすめ、カロリーナ。」がWEB公開される予定。
 寄贈された駒を受け取った伯将棋連盟の吉田会長は後日、「駒の寄贈並びに移民110周年への祝意、誠に有り難い。期待に応えられる様、普及活動により一層尽力して参ります」と感謝を述べた。次の8月大会の決勝戦で、この記念駒が使用される予定。

隠れた日伯戦後将棋交流史=木村名人の超貴重品届かず=70年後に着いた記念駒

木村義雄名人(wikipediacommons/中井赳夫(朝日新聞東京本社)『アサヒカメラ臨時増刊 朝日新聞報道写真傑作集1952』朝日新聞社、1952年、INDEX.31)

木村義雄名人(wikipediacommons/中井赳夫(朝日新聞東京本社)『アサヒカメラ臨時増刊 朝日新聞報道写真傑作集1952』朝日新聞社、1952年、INDEX.31)

 ブラジル日本移民110周年を記念して、日本将棋連盟から伯将棋連盟へ将棋駒が寄贈された。日本将棋連盟からは折りある毎に、記念品の贈呈が行われている。終戦直後、今からちょうど70年前の1948年、記念すべき第1回目の全伯将棋大会開催時もそうだった。
 当時は勝ち負け抗争によって日系社会が分断されていた時期で、日系社会と親交の深かった木村義雄名人は、その労多大なる事を案じ、せめてもの協力として駒の寄贈を申し出た。(木村義雄=1905―1986年。十四世名人。最初の実力制による名人かつ最初の永世名人)。
 当時の新聞には木村名人からの手紙が掲載されており、いわく掲題の駒は世界に四つしかないという木村名人署名入りの超貴重品。優勝賞品として活用し、皆の励みにして欲しいとの事だ。
 しかし、当時の日本はGHQの占領統治下にあり、国外への物資輸送もまた制限中。「マッカーサー司令部の許可が下り次第必ず」との由だが、その後の新聞を見ても駒到着の報せはなく、伯将棋連盟の古株会員に聞き込みをしてもその存在を知る者は居なかった。
 察するに延期の続く内に沙汰止みとなってしまったのだろう。しかしそれも当時の日本の状況を思えば無理からぬこと。むしろ終戦直後の苦境の中で、遠きブラジルの同志の苦労に思いを馳せ、協力を申し出てくれた事自体が意気であり、大きな励みになったのではないだろうか。大会はその後、社会的分断を乗り越え見事成功し、それ以後も毎年開催され、現在に至っている。
 ところで、今回寄贈された駒は山形県天童市産の柘植製手彫り駒で、市場価格5万円相当の高級品。駒箱には佐藤康光会長の署名と『研鑽』の文字が揮毫されている。

木村義雄名人とのやり取りが掲載された当時の記事(1948年2月3日付けパウリスタ新聞)

木村義雄名人とのやり取りが掲載された当時の記事(1948年2月3日付けパウリスタ新聞)

 駒とともに寄せた祝辞の中で佐藤会長は「『研鑽』は、コツコツと勉強を積み重ねるという意味。これからも将棋を親しまれる方が少しずつでも増えることを願っております」とその思いを綴っている。
 伯将棋連盟が会員獲得と文化普及を目して4月に行った初心者教室(ニッケイ新聞も共催)には60人が参加した。海外普及事業に励む外国人プロ棋士カロリーナ・ステチェンスカさんに、事の次第を報告すると参加人数の多さに驚きの声をあげていた。出身国のポーランドで開催しても10人集まれば良い方だそうだ。移民開始から110年間「コツコツ」と普及活動を続けてきたからこその成果だ。
 最近では日伯問わずインターネットで将棋を覚える人が多い。競技の普及は容易になったが、実際に駒に触れたことが無いという人もまた多く生み出している。
 将棋道具の芸術性は将棋文化の重要な一側面。競技普及が容易になった分、今後はそういった面の普及活動も望まれる。伯将棋連盟では、これまでは寄贈された駒を大会の優勝賞品等にして個人へと譲ってきたが、今回は伯将棋連盟の所有物として、ワークショップや大会で公開展示していく方針だ。
 同連盟では「平時は盗難防止のため事務所奥に仕舞い込むことになるため、芸術的将棋駒に触れたい方は、伯将棋連盟主催のイベントにぜひ来場を!」と呼びかけている。