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祖国脱出―ベネズエラ人の心中は=国境の町ククタの悲しい現実=国民30人に一人以上が逃げ出す

テメル大統領と話し合うロライマ州知事のスエリー・カンポス氏(右、Alan Santos/PR)

テメル大統領と話し合うロライマ州知事のスエリー・カンポス氏(右、Alan Santos/PR)

 ブラジルでベネズエラ人移民が急増し始めたのは2016年。ベネズエラ人が陸路で入国するロライマ州では、同国人が1日に数百人単位で入っており、州政府がベネズエラとの国境封鎖を求めた。これは欧州諸国がシリア難民受け入れを拒むのと通じる動きだ。エスタード紙6月3日付、フォーリャ紙6月10日付報道などを参考にして、母国脱出を試みるベネズエラ人の思いや実情を垣間見たい。

空軍機でサンパウロとマナウスに運ばれるベネズエラ人移民達(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

空軍機でサンパウロとマナウスに運ばれるベネズエラ人移民達(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 ロライマ州は5月の政府との会合で態度をやわらげ、国境閉鎖を求めなくなった。だが同州はまだベネズエラ人急増で膨らんだ教育や医療、治安関連の負担分として、1億8400万レアルを国が払うよう求めた。だが6月8日の会合は、連邦政府が空軍機によるベネズエラ人移送などで十分手を尽くしているとの意向を示した事で物別れに終わった。

ラ米諸国に散るベネズエラ人

ロライマ州ボア・ヴィスタで仕事を探すベネズエラ人(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

ロライマ州ボア・ヴィスタで仕事を探すベネズエラ人(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 ロライマ州での動きや欧州での難民受け入れ拒否は、政治的、経済的、人道的な事情で起きる大量の人民流入に伴う反応の例だが、ベネズエラ人移民はどこにどの位いるのだろうか。
 10日付フォーリャ紙によると、ブラジル内のベネズエラ人は5万人もいる。国境を接するロライマ州の州都ボア・ヴィスタに4万人という情報を考え合わせると、同州に大半が集中している事がわかる。
 だが実際には、ブラジルのベネズエラ人は他のラ米諸国より少ない。同国からは100万人以上が流出したとされ、内80万人は、同じスペイン語圏の隣国コロンビアに住んでいる。さらに遠くまで行った人はペルーに29万8千人、チリに16万人、アルゼンチンに8万2千人、パナマとメキシコに6万5千人ずつ住んでいる。

命がけで国を抜け出す人々

ロライマ州ボア・ヴィスタの収容所に住むベネズエラ人移民達(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

ロライマ州ボア・ヴィスタの収容所に住むベネズエラ人移民達(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 人口3千万強のベネズエラから既に100万人以上、30人に一人以上が脱出した計算になる。医師や弁護士などの富裕層や中産階級を中心に国民の3~5%が逃げだしたわけだ。高齢で動けない親や移動費がない親族に仕送りするために、若い世代が出稼ぎ移民になるケースも多い。この数字は、ベネズエラがいかに大変な状況に置かれているかを物語る。
 3日付エスタード紙には、同国を出た産院婦長リラ・ヴァレラ氏が最後に受け取った給料は1ドルだったが、カラカスから国境までのバス料金は1・5ドルとある。
 カラカスから国境のサンクリストバルまでの808キロは、15~20時間かかる。しかも、誰もこのバスが確実に国境に着く事は保証してくれない。バスの乗客が持つ荷物や現金を狙う強盗が頻発しているからだ。
 ヴァレラ氏が乗り込んだバスも、強盗の投石で窓ガラスが割られた。強盗達は、カラカスから国境の町へ行くバスの利用者は、最後まで手元に残しておいた大切な品や現金を持っている事を知っている。
 ヴァレラ氏も20ドルを手にバスに乗り込んだが、同国では紙幣が額面の3倍の金額で売買されており、まとまった額の現金や貴金属類を持っているはずのバスの乗客は、上客なのだ。
 ヴァレラ氏は幸い、コロンビアまで行きついたが、車内では現金などを身近に置き、まんじりともせず、旅を続けた。

あまりに悲しい現実

祖国を出るベネズエラ人を報道するエスタード紙6月3日付とフォーリャ紙6月10日付

祖国を出るベネズエラ人を報道するエスタード紙6月3日付とフォーリャ紙6月10日付

 ヴァレラ氏や同乗者達は皆、祖国にある家や車、仕事、家族まで手放して旅に出ており、悲しい現実を目の当たりにしてきた生き証人でもある。
 ヴァレラ氏が勤めていた産院ではナタル(クリスマス)の前日、それも未明に、3人の新生児が心拍停止を起こした。だが、当直看護婦は2人のみで、すぐに蘇生術を施せなかった1人は助からなかった。
 亡くなった子供の母親は初めて得た子供の死を悲しみ、遺体から離れようとしなかったが、父親がその手から遺体をむりやり引き離し、ヴァレラ氏に手渡した。
 だが、死因鑑定を行う部署には誰もいなかったため、ヴァレラ氏は遺体を胸に抱いたまま、まんじりともせず、担当者が来るのを待っていたという。心拍停止を起こした子供は皆、栄養失調で衰弱していた。
 障がい児を預かる学校の教師は、そこでも昨年、3人の子供が栄養失調で死亡したという。別の教師は、勤めていた学校に新しい台所が出来た際、写真撮影後に、政府から派遣された人物が冷蔵庫やガスレンジなどを全て持ち去るという信じ難い光景も見ている。

ヴァレラ氏の夢と現実

 ヴァレラ氏は仕事が保証されているペルーまで行き、ベネズエラに残る娘達(15歳の双子と18歳の長女)に送金してやる事を願って母国を離れた。
 長女を帝王切開で出産した時は、感染症で母子共に生死の境を彷徨い、15日間の入院を強いられた。産院では抗生物質などの基本的な医薬品や職員が不足し、母親達がシーツを破っておむつにしていた。
 2016年の同国の新生児死亡率は30%、妊婦の死亡率は65%も高まっている。ロライマやコロンビアのベネズエラ人の間で風疹が流行っている事なども考え合わせれば、同国の医療の実態は推して知るべしだ。
 だが、何とか無事にコロンビアに着いたヴァレラ氏も、夢を叶えるのは容易ではないと思い知らされる。コロンビアとエクアドルを経てペルーまで行くのに必要な250ドルはおろか、ボゴタからリマまでの飛行機のチケット代150ドルさえも稼げなかったからだ。

国境の町で髪の毛売る

 しかも、コロンビア側の国境の町、ククタ市やその近郊は、仕事を探すベネズエラ人達が溢れているので、職にありつくことは難しい。
 ククタの町に着いたベネズエラ人達は、お金になりそうなものは何でも売る。中には髪の毛を買い上げる業者もいる。かつらにして、金持ちに高く売るためだ。だが、母国で身に着けた技術や知識を生かせるような職場を見つける事は至難の技だ。
 技術や知識を生かす術を持たないベネズエラ人女性が、コロンビアで手っ取り早く働ける口は、なんといっても売春婦業だ。ヴァレラ氏にも、すぐに売春婦として働けとの圧力がかかり始めているという。
 かつてはゲリラがはびこり、抗争が絶えないために、身の危険を感じたコロンビア人達が、安寧の生活を求めてベネズエラへ出ていく通過点がククタだった。だが現在は、わずかな財産と大きな希望を胸に祖国を脱出したベネズエラ人達が、コロンビアで最初に足を踏み入れる町であると共に、祖国を逃げ出してきた弱みに付け込もうとする犯罪者組織の罠にかかりかねない危険な町にさえなっている。

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