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連載小説

自分史 戦争と移民=高良忠清=(16)

 軍の講習をうけて、桟橋内で働く免許書を取り、船の荷物を上げ下ろしする仕事をすることになった。一生懸命働いて三千円の月給を貰い、全部母に渡した。それを頼りにしていた母はいつも喜んでくれた。  あの頃、若者達の憧れは運転手だった。アメリカ軍の基地の中で、たくさんの仕事があって給料もよかったからだ。  昭和二十七年(一九五二年)に定 ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(15)

少年時代の最後の闘い  学校の行き返りはいつも一緒だった、私の同級生たち、高良政雄、上原幸一、上原正次郎は、皆近所に住む友達同士だった。  政雄君は他人に命令するのが好きな気性で、私は他人から何か命令されるのが大嫌いな性分だったから、二人の間では口喧嘩が絶えなかった。口喧嘩しながらも、友達であることにかわりはなかったが、中学三年 ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(14)

 お国のために潔く死んで来いと教育されながらも、いざとなれば弱いものを犠牲にしてでも生き永らえたく思う者もあった。それが戦場の悲劇だ。  それにしても、物資に乏しい日本はあの悲惨な戦争を勇気だけで戦った。犠牲になった人達にはほんとうに気の毒ではあるが、日本が負けてよかったと私は思う。  井の中の蛙、大海を知らず、と言うことわざが ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(13)

不吉な予感  照屋幸栄君のお母さんは後になって、あの日に限って何か不吉な予感がして息子を皆と一緒に行かせなかったと言ったそうだ。  それを知りながらなぜ皆を止めなかったのだと幸栄君はお母さんを責めたらしいが、お母さんはただ予感であって本当に当たるかどうかは知らなかったと答えたらしい。  戦争からは生き残ってきた少年達も、まだあち ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(12)

 私の上級生、下級生達も勉強よりも学校づくりに忙しかった。こうしてやっと皆が雨風に濡れず勉強が出来るようになった。    夢  自分の村に帰って間もなく、母がアサ早く起きると同時に、「夕べ、祖父母と叔母と二人の子供達が長田の防空壕で死んだ夢を見た」と言った。  祖父母は自分達はもう年寄りだからこのまま自分の防空壕で死ぬと云ってい ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(11)

お酒  厳しい物資不足が続いた終戦直後には、住民が命をつなぐほどの食料はアメリカ政府によって支給されたが、他には何も無かった。  島のお酒好きな大人たちは、こんな時チョットでもあればどんな苦労も忘れられるのにと、お酒不足を寂しがった。  そこで大人たちは日本軍が畠のあちこちに残したアルコールやひまし油の入ったドラム缶を見つけ出し ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(10)

 石川まで母を訪ねるには所々自由に入れない禁止区域があったので、兄は役所で旅行証明書を貰いに行った。  しかし、石川までの証明書は出してくれませんでした。宜野座までなら、ということで、とりあえず宜野座までの証明書を貰って石川を目指して出かけることにした。  照屋幸栄と那覇出身の青年も、石川には自分達の親戚が居るから一緒に行きたい ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(9)

 「これを着て退院しなさい」と言われた時は皆大笑いとなった。何しろその軍服は、小柄な私が二人はいってもまだ大き過ぎるぐらいだった。兄が「それは俺が着るから、おまえは俺のものを着なさい」と言ったので、結局、私は兄の服を着て退院した。  そこで、君達は未成年だから孤児院を探すようにと言われたが、兄は俺たち孤児院には行きません、自分た ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(8)

 それで軍医が診察に来て、すぐに注射をしてくれたし、おかゆも用意してくれた。それから次第に破傷風も良くなっていき、口も開けるようになってご飯も食べられるようになりました。  私はそこに入院して以来、便をしたいとも思わなかったし、したことも覚えていなかったが、自由に歩けるようになってからやっと便所に行きたくなった。ほんとうにあの叔 ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(7)

 母は、叩かれても言うこと聞かずその人達について行こうとする姉を連れ戻そうと追いかけて行き、返ってこなかった。  終戦になってからの話では、沖縄人に変装したアメリカ二世が、我々の来た方を指して、向こうには敵が居るからコッチヘ、コッチヘと道で誘導していたらしく、皆その後を追って行ったとのことだ。  父と私が降ろされたに処には、地下 ...

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