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連載小説

自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(5)

ユイマールで住宅造り

 母にブラジルの都会に再移住する、と告げると、母は大変喜んでくれた。11年間のボリビア移民地での精神修養、僕にとっての「無形の財産」となっているものは、[一人の女性の縁の下の力持ち]から学んだ今は亡き母の言葉である。「人一倍働けば必ず成功する」―この言葉は、困難に直面する時に、いつも僕の胸に蘇る力強い言葉である。 母は、沖縄県本 ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(4)

原始林の中の動物たち

 時間が経つに連れ、原始林の中に三線の音が鳴り響き、老若男女が一体に成り、カチャーシーで喜びを分かち合っていた。沖縄に居たころは、「ユイマール」という言葉さえ聞いたことがなかったが、ボリビアに来て初めての体験であった。一人の力では出来ない仕事を隣近所、あるいは同郷人たちが力を合わせて成し遂げていく、いわゆる「共同作業」である。  ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(3)

原始林の開拓

 密林の中には、野生の吼え猿、七面鳥、山アヒル、名も知らない野鳥の群れがグァーグァー叫び、山の中を響かせていた。まさに野鳥の天国である。イノシシ、鹿、山猫、大蛇等の動物にも出会った。豹、トラも出没するという話は聞いていたが、猛獣が恐ろしい、怖いという恐怖感はそれほどなかった。 原始林の中の怖さを身にしみて感じなかったからだと今に ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(2)

ボリビア出発前に家族記念写真。父・宏芳(こうほう)、母・光(みつ)、弟・宏(ひろし)、茂(しげる)と共に

 その数日後、第7次移民者に与えられた配分地は、ラスペタ(山亀)区地域と名づけられた。この地域の一部には、その昔牧場があったという跡地がそのまま残っていた。子牛が生まれる度に野獣に襲われ、牧牛を増すことができずに牧畜業をあきらめ別の場所に移動したという。その話は20~30年前の話だと聞かされたが、こんな原始林の中にすでに移民した ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(1)

ボリビア移民のはじまり。1954年6月19日、第1次移民269人が那覇港を出航する様子

  ボリビアの原始林に囲まれた入植地は、まさに昼なお暗くという感じだった。蚊はびっくりするほど大群で襲ってくるため、蚊の多い夏の方が、沖縄の米軍の払い下げH・B・Tカーキーのジァンバー長袖などを着込んで厚着をし、道を歩く時は木の葉で蚊を追い払いながら歩いていた。 日が落ちて暗くなるとますます蚊が多くなり、仕事で疲れていても緩める ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(8)

 そして目的地のアキダウーナ市に到着、そこで小さなペンソン(旅館)で一晩宿泊、翌日町の中を散歩、80余年前父もこの道を歩いたかも、と現在は発展した街中を歩き回った。そして古い教会の前で立ち止まり、「この教会も確かに父の姿を見ただろうなぁ」、と問うように合掌。胸を締めつけられるような感じであった。 郁太郎は、「父さん貴方のお望みど ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(7)

郁太郎夫妻とその家族、サンパウロ市に移転

土地の測量――小禄村役所時代の体験を生かして どうせ沖縄には帰らぬ覚悟で移住した。この国で幸せを掴むのだ。郁太郎はこの国こそ我らの国と心の底から誓っていた。 そんな生き甲斐を感じた郁太郎家に5男ジョージいさおが誕生、二世交ざりの9名家族になった。小学校終了後はオリンピアの町に住み込みで教育させ、ポルトガル語も不自由を感じない生活 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(6)

 とうとう稲の穂先が枯れ始め、泣くに泣けない見殺しに胸が裂ける思いで、オテントさんを恨む。雨があれば仕事もあるがここしばらく雨を待つしかない。膨れ切れた手豆も石のように堅くなっている。慰めをかける母ちゃんに「その分子供たちが成長したから悔いはないよ」、と慰めあう夫婦である。とうとうその年は不作に終わる。夫婦共々年中働き収穫無しの ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(5)

郁太郎家の木造の住宅

豊作を夢に猛暑と一騎打ち 鍬を握った最初の瞬間に農場を見回した郁太郎は「必ず儲けて叔父さんみたいな農家になるんだ」、と勇気を新たに独りごとで心に誓った。明け方から日暮れまで、握りどおしのエンシャーダに手まめも腫れ、切れて痛む。 しかし、それはもともと覚悟の上、手袋をはめたり取ったり、豊作を夢に流れ落ちる汗も袖で拭い、沖縄から持参 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(4)

オリンピアの大農場主、金城正仁家の人々

 それから20年の歳月が流れた。沖縄庶民の暮らしは何も変らぬ昔同様、それこそドン底の暮らしであった。 そこでまた、亀の弟金城正仁が、これまた同じ動機で18歳の長女を先頭に1歳の乳飲み子までの8人の子供を引き連れてブラジルに移住、モジアナ線地方に入植した。 1937年のことであった。10人家族で過酷なコーヒー栽培に従事、成長する子 ...

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