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連載小説

自分史 戦争と移民=高良忠清=(9)

 「これを着て退院しなさい」と言われた時は皆大笑いとなった。何しろその軍服は、小柄な私が二人はいってもまだ大き過ぎるぐらいだった。兄が「それは俺が着るから、おまえは俺のものを着なさい」と言ったので、結局、私は兄の服を着て退院した。  そこで、君達は未成年だから孤児院を探すようにと言われたが、兄は俺たち孤児院には行きません、自分た ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(8)

 それで軍医が診察に来て、すぐに注射をしてくれたし、おかゆも用意してくれた。それから次第に破傷風も良くなっていき、口も開けるようになってご飯も食べられるようになりました。  私はそこに入院して以来、便をしたいとも思わなかったし、したことも覚えていなかったが、自由に歩けるようになってからやっと便所に行きたくなった。ほんとうにあの叔 ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(7)

 母は、叩かれても言うこと聞かずその人達について行こうとする姉を連れ戻そうと追いかけて行き、返ってこなかった。  終戦になってからの話では、沖縄人に変装したアメリカ二世が、我々の来た方を指して、向こうには敵が居るからコッチヘ、コッチヘと道で誘導していたらしく、皆その後を追って行ったとのことだ。  父と私が降ろされたに処には、地下 ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(6)

 福地(フクヂ)村の入り口に馬小屋があって、そこに入ってみると、そこにも数人の住民や兵隊達が隠れていた。  その仲間に入れてもらい、又数日がたった頃、偶然兄が四、五人の兵隊と一緒に、一袋のお米をここに居合わせた部隊に配給するために現れたのです。  兄が上官に自分の親兄弟ために少しを分けてもらうようにたのんで、手のひら一杯ほどのお ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(5)

 ちょうど村の境目の十字路に差し掛かると、そこには五、六人の住民と三人の兵隊が倒れて呻いていた。だが、明日の自分の命も分からない怯えた避難民達は、それを助けようともせず、見て見 ぬ振りをして通り過ぎて行った。  そこから百メートルぐらい離れた小高い山に登ると海が見渡せた。沖には列を組んで驚くほどの数の敵の軍艦が見えた。はっと気づ ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(4)

 二日後、あの日聞いた爆発音は、やっぱりうちの防空壕のすぐ近くで、近所の壕は崩れ落ちて二家族が生き埋めになってしまったというニュースを誰かが持ってきました。  叔母さんはそれを聞いた翌日、「親同然の舅姑たちを後に残して逃げるわけにはいかない」と言って、敵の飛行機があちこちを攻撃する中を、五歳と三歳の子供を連れて村へ引返して行った ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(3)

 その間、私の家族は防空壕で避難生活を続けていましたが、空襲がおさまる夕方ともなれば母は食事の支度にテンテコマイとなります。昼間は煙を立てることは出来ず炊事も暗くなるのを待ってからという毎日が続きました。  ある日、私たちの部落も攻撃を受け、一瞬にして火の海に覆われ、家々は焼き尽くされた。戦争前には消火訓練に励んでいた大人たちも ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(2)

戦争間じか  私が十歳になった頃、第二次世界大戦が沖縄でも始まるということで、日本軍隊がゾクゾクとやって来た。  しかし軍隊の兵舎の準備も無いまま、学校、全ての公共施設を徴用、そして民間の家々も利用して小グループの兵隊達をわりあてた。  やむなく子供たちは学校の運動場に集まって青空天井の教室で勉強をしたが、授業の無い日が多かった ...

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自分史 戦争と移民=高良忠清=(1)

 私は昭和十年(一九三五年)、沖縄那覇市字小禄(オロク)屋号新大屋(ミウフヤ)の七男として生まれました。長男から三男までは昭和十一年(一九三六年)に移民としてブラジルにわたり、四男夭死、残った五男、六男、三女と私は両親と一緒に暮らしていました。 シリから一番  七歳なると私は小禄尋常小学校に入学。成績はいつも後ろから数えて一番で ...

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道のない道=村上尚子=(82)

ゴムの樹  アナホーザにある碁会所のそばには、ゴムの大樹がある。  四十年も前には、痩せた貧弱な木であった。建物の陰、しかもセメントの歩道の端で、この木はなんとか生きていた。  人間ならこの環境を逃げ出すことができる。が、この木は耐えた。  そして、動けない木の根は、下へ下へと伸びていって逞しくなり、ついには固いセメントをひび割 ...

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