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連載小説

どこから来たの=大門千夏=(85)

 高原の陽は早々と陰り暮れてゆく。空は鉛色となって寒さを増し、霧が山々を覆い、町には夕闇が迫っていた。そして風交じりの小雨が今日も容赦なく顔に当り心まで冷え冷えとして後悔自責の念がひろがって行く。もうこれで会えない。明日は出発なのだ。  あれから一年経つ。  「ケチな日本人!」あの子の声が聞こえてくる。  「アイ・ノー・ハッピイ ...

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どこから来たの=大門千夏=(84)

 仕方なく五万ドン札二枚を出すと彼女は黙って受取り、黙って品物を手渡した。そしてお釣りをくれる為に小さな巾着を開けたが、そこには二〇〇〇ドン(日本円で一〇円)のお札しか入っていなかった。これで何が買えるのだろうか。私は小さいお金を揃えて七万ドンきっちり払った。  陽が暮れ初めると、高原の冷たい風が霧雨をもたらした。雨季がまだ続い ...

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どこから来たの=大門千夏=(83)

 モン族の女性は藍染のシャツの袖口に幅広く刺繍がしてあり、襟、スカートのベルトにも細かい刺繍がしてある服を着ている。その上、背中には一〇㎝四方くらいの特別に目の細かい刺繍の布が縫い付けてある。家族によって模様が決まっているようで、日本人の着物に付ける紋のようだ。  頭には藍染の筒型帽子。足にはゲートルのようにこれも藍染の布を巻い ...

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どこから来たの=大門千夏=(82)

 「そうよね、治るわね」女性は自分に言い含めるように言ってから、  「癌なの」と小さく沈んだ声で言った。こんな太った癌もあるの? それとも今始まったばかりだろうか。  私は次に何を言っていいやら、頭の中がおろおろするばかりで言葉が見つからない。  「来年の今頃…どうしているかしら」女は独り言のように呟いた。  「大丈夫、大丈夫、 ...

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どこから来たの=大門千夏=(81)

 催事場の隅に寿司屋があって、ここをぼんやりと見ていると、「海鮮どんぶりがお勧めでーす」と若い店員が声はりあげて言う。宮城から来たんだから魚は美味しいに違いない。 ――年を取ったら栄養を取らないとボケるんだって。わが人生いよいよ先がみじかくなったから、おいしいもの食べといたほうが良いじゃあないの――なぜか弁解が頭をよぎる。  二 ...

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どこから来たの=大門千夏=(80)

 家族皆で早朝から、山を下りて収穫物を売りに来たに違いない。帰りは売れたお金で必要なものを買って籠に入れて、又山に帰って行く。これが小さいときから営々と続いている彼らの生き方。唯一の現金収入の方法なのだ。  五人の子供がじっと屋台を囲んでおばさんの手つきを見ている。  まもなく二人の女性が傍に来た。途端に小さい男の子は背伸びして ...

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どこから来たの=大門千夏=(79)

 お世話になったわね、ありがとうと声を出して言い、何時もならこれで古着の整理ができた、また新しい服を買おうと喜んでいたのに。しかし今日はなんだか気持が弾まない。  一〇年以上も愛用したセーター。私の家から五〇〇〇㎞も離れた知人もいないこの寒く冷たいウシュアイアの土地に残してゆく。  こんなところにたった一人、寂しいだろうな、悲し ...

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どこから来たの=大門千夏=(20)

 青い氷が輝いているという南極をぜひ見たいと二〇年も昔から願ってきた。なんで?と聞かれても大した答えはない。ただ美しいから見たいのだ。 それと、あの世に行って夫に会ったら「地上から眺める南極は、天空から眺めるよりずっとずっと美しいのよ」と大いに威張って話したいという単純な動機である。  ちゃんと計画を立てて出港に合せて来ればいい ...

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どこから来たの=大門千夏=(77)

 文句を言うと、もう他に部屋はないという。さすがに腹が立って大声で文句を言った。するとどうだろう机の下からすっと鍵が出てきた。「この部屋は湯がでるよ」だって。知っていても苦情が出るまで知らぬ顔をしている。だから何事も常に文句を言い、大声でドナル、ガナル、ワメクと物事がスムースに行くという事がやっとわかった。こちらの顔つきが悪くな ...

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どこから来たの=大門千夏=(76)

 しかし、信じてはいけない。  私達が寄った食堂のお姉さんは――イヤイヤお嬢さんは一五?一六歳にしか見えなかった。テキパキと働き、店の台所を一人で切り盛りしていた(台所はお客から見えるところにある)。見ているだけでも百点をあげたいくらい良く働く。その上かわいく、あどけなく、色白で天使のような顔をしていた。  彼女の作ったラーメン ...

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