ホーム | 文芸 | 連載小説 | 移り住みし者たち=麻野 涼 (ページ 3)

移り住みし者たち=麻野 涼

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第133回

ニッケイ新聞 2013年8月8日  そう言ったきり自分部屋に入り、風呂にも入らずに寝てしまった。その様子を見て、幸代は兄の容福はやはり死んでいると確信した。自分の思いを心に秘めておくことのできない母親が沈黙する理由は、筆舌に尽くしがたいショックを受けたからだろう。  翌朝、仁貞は朝早く目を覚まして居間のコタツに入りお茶を飲んでい ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第149回

ニッケイ新聞 2013年8月30日  マリーナがリタと台所に入った。児玉はサーラでイマージェンス・ド・ジャポンという日系人向けのテレビ番組を見ていた。日本の歌謡曲を二世が歌っていた。ヒロシという名前の歌手が五木ひろしの「よこはまたそがれ」を歌い始めた。パウリスタ新聞の広告部でよく見かけた男だ。藤沢工場長の長男だった。パウリスタ新 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第134回

ニッケイ新聞 2013年8月9日  訪問団は夜行寝台列車に乗せられ、一部屋ずつ与えられた。部屋には金日成の肖像画が飾られていた。 「みんな平壌に着きさえすれば家族と再会できると思って、夜行列車に十八時間近くも揺られてがまんしたが、着いた時には皆ぐったりしていた」  三日目の午前十時頃に寝台列車は平壌駅のホームに入った。そこでも家 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第150回

ニッケイ新聞 2013年8月31日  ブラジルの風土がそうさせるのだという。長い間農業に携わってきた野村は、農民らしい説明をした。日本のトウモロコシは甘くて粒も揃っている。やわらかくて茹でて食べることができる。その種を日本から輸入して、ブラジルに播いても粒は不揃いで、しかも実も固いものになってしまう。 「日本のトウモロコシとは全 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第135回

ニッケイ新聞 2013年8月10日  二人の案内員の手前、そう言うしかないのだろうと察して、仁貞は家に案内するように言った。しかし、寿吉は「ここからは遠いし、同志たちが用意してくれたこの場所で話は十分にできる」と下手な役者が台詞を棒読みするような口調で言った。 「何を言っているんだい。夫婦が十七年ぶりに会ったというのに、自分の家 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第108回

ニッケイ新聞 2013年7月3日 「きれいな眺めだ」パウロが言った。  叫子がフェジョンとサラダ、ブィフッエ(ステーキ)を次々に運んできた。絞ったばかりのオレンジジュースを三人のコップに注ぎ、叫子も座った。 「さあ、食べましょう」  叫子が勧めると、パウロは紙包みを開いて「俺はこれを食べる」とパンを取り出した。バターがぬってある ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第124回

ニッケイ新聞 2013年7月26日  飲む機会が減ったのは、体調を崩したことも理由の一つだが、パウリスタ新聞の給料がまともに支払われなくなったことも影響している。もともと給料は薄給の上に、さらに遅配が重なったのだ。会計は二階にあるが、夕方になると螺旋階段に列ができた。印刷部、写植部のスタッフも、自分の仕事を放置したまま列に並んだ ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第109回

ニッケイ新聞 2013年7月4日  テーブルの上を片付けていた叫子が、その手を止めていった。 「パウロ、字は書けるの?」  突然の質問にパウロは顔を上げて、叫子の顔をまじまじと見つめた。 「中学は卒業したの?」  叫子は見習い整備士の採用資格が中学卒業だということを知らないから、悪びれることなく単刀直入に聞いた。  パウロは予期 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第125回

ニッケイ新聞 2013年7月27日 「終戦直後はそうかもしれませんが、今の経営状況は園山社長が無能なだけでしょう」  園山は二世で、極貧の子供時代を送ったと言われていた。自分の給料だけは真っ先に中村の後ろにある金庫から持ち出していると囁かれていた。園山社長を詰る児玉に、神林は黙り込んでしまった。軍政のブラジルでは経営者批判は共産 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第110回

ニッケイ新聞 2013年7月5日 「パウロ、聞いてくれ。叫子と相談したんだ」  顔を上げたパウロは涙を流していた。テーブルの上にあったティシュペーパーを二三枚引き抜き、叫子がパウロに渡した。涙を拭きながら、小宮をじっと見つめた。 「夜間中学で勉強して中学卒業の資格を取る気持ちはあるか」小宮が聞いた。 「もちろんあるさ。でも、その ...

続きを読む »