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パナマを越えて=本間剛夫

パナマを越えて=本間剛夫=77

 エリカは瞼を瞬いた。 そのとき庶務の兵隊が入って来たので話は中断した。今も君を愛しているというには、今のエリカは遠く高い存在であることを悟らなければならなかったが、それでも彼女の愛を確かめたかった。        ◎ 翌日、部隊の使役兵による第二病棟の発掘作業が進み、中村中尉、三浦軍曹、荒川、細谷両上等兵、少年兵などの屍も発見 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=76

 その情報の中で、日本人の海外旅行が二十年間禁止されるという私にとって暗いニュースもあったが、私は感情の乱れを抑えるように努めた。上司や戦友たちを刺激したくなかった。司令部からは毎日命令が出され、それは連合軍命令として各隊に伝達された。師団糧秣(りょうまつ)庫の解放、銃火器の集積、軍用建物の破壊と全島の清掃などが次々と命令された ...

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パナマを越えて=本間剛夫=75

「……父は日本では最高の学校を出ましたが、メキシコでは貧しい農夫でした。私たちが初級学校を終わったとき、前から考えていたアメリカ密行を実行したのです。ところが、国境のリオ・グランデ川を小舟で渡ろうとしたところで国境警備隊に見つかって逮捕されました。母が私たち二人を連れて三日間も逃げ回り、父がどうなったのかは分りません。農場の人た ...

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パナマを越えて=本間剛夫=74

「私も父からです。そのあとはメキシコ・シチィの日墨協会の日本語コースです」 アンナが続けた。 それから相互に構えた障壁が取り除かれたように見えた。「お父さんが日本人だったのですね」「そうです。母はメキシコ人でした。この戦争には自発的に参加しました。父の国と戦うことで私たちの生国に忠誠を示すためでした。それはアメリカでもブラジルで ...

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パナマを越えて=本間剛夫=73

 副官室では副官の左右に庶務課長と粟野中尉が控え、副官の正面に椅子が二脚並んでいた。私が気づかぬうちにエリカはいつの間にか眼帯を外していた。「連れて参りました」 エリカとアンナは並んで、例のように掌を相手に向ける挙手の礼をした。答礼したのは粟野中尉だけだった。「答礼しないのは。失礼です」 ゆっくり、しかも強い調子でエリカが日本語 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=72

 あの時、気づいてさえいたら洞窟でのアンナの挑みを強く拒絶していたのだ。サンパウロの銀行支店長秘書と米軍航空将校……戦場……。それがどう一人であると誰もが結びつけることが出来よう。エリカを許してくれ! 私は心の中で許しを求めた。「お前が入れ。司令部へ行くのだと説明するんだ」 下士官が格子の自在鍵を外した。私は格子扉を潜って二人の ...

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パナマを越えて=本間剛夫=71

    第四部         1「お前は、福田兵長と捕虜を副官室へ連れて来い」 その日の午後、庶務室に現れた科長が下仕官に命じた。 胸が踊った。あれから一カ月余り、毎日案じていたエリカたちと会える……。英語の教師という仕事を与えられた二人はどんなに喜ぶだろう。それは又、彼女たちが無事母国へ帰れることの保証でもある。「福田、出か ...

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パナマを越えて=本間剛夫=70

 軍曹はまだ粟野中尉が連合軍に対して捕虜の件を通報していることを知らない。また、司令部が二人の捕虜をアメリカへの報復として処刑する考えがあるのを、粟野中尉が阻止するよう働きかけていることも知らない。だからエリカたちの生命はもう永くはないと予期している。 この論でいけば連合軍は、私をも生かしてはおかないだろう。中尉を信じながら下士 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=69

 私は中尉と話したかったが、機会がつかめずに焦っていた。通訳として私を転属させておきながら、司令部は二人の所在を匿している。 数日たったある朝の点呼のあと、私はぼんやりと広場を眺めていた。その時、粟野中尉がいつもになく急ぎ足で壕に入って来るのが見えた。庶務室には幸い私一人だった。チャンスだ。「お質ねしたいことがあります」 中尉は ...

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パナマを越えて=本間剛夫=68

 一切、粟野中尉に委ねているのだから……。常識人である中尉は、二人の上司に捕虜の取り扱いについて淳々と道理を説いてくれているのだろう。戦争は終わった。軍隊はもう存在しない。階級性を盾に中尉を越権行為として罰することは出来ないはずだ。副官が狂気でない限りは。 私が日本の軍隊に対して不信を抱いたのは、その教育と階級性だった。内地の陸 ...

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