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読者寄稿

ジャポネース・ガランチード=マリンガ 園尾彬

 西銘光男氏と駒形秀雄氏の意見を拝読させていただき、私も少し意見を述べたいと筆を執りました。 1958年12月に19歳でブラジルに来た当時、このパラナ州マリンガ市の街を歩いていると、小さな子供達から「ジャポネース・ガランチード・ネ」と呼びかけられクスクス笑われたことが何回かありました。 何のことかよく分からず日系2世の同僚に尋ね ...

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「明け暮れの記」読後感=サンパウロ 小野寺郁子

 包装紙より取り出すや、パッ、と目の覚めるような色彩あざやかな表紙、それがこのたび武地志津さんが上梓された著書『明け暮れの記』である。 320ページの手に重る本の内容は、随筆と短歌を主にした自分史、とも言える趣がある。29編の随筆は、一つ一つが丹念に彫られた人間像であって、読み進めれば明確に作者のイメージが浮かんでくる。 内親を ...

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「ジャポネース ガランチード」=サンパウロ 駒形秀雄

 4月11日付け西銘光男さんの文章「ジャポネース ガランチード」を拝見致しました。大変立派な内容のお話しに感心し、「そうです、全くその通りです」とこの文を記します。 第一に、この言葉「ジャポネース ガランチード」が日本人を差別する言葉だということが、西銘さんの体験に基づいて明確に書いてあるということです。私も何度かこれは侮蔑語だ ...

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「ジャポネース ガランチード」ってなに?=サンパウロ 西銘光男

 一世紀を超える日系社会の歴史の中には、いわゆる「コロニア語」と言うのがたくさん生まれた。これも日常生活の中から生まれた一つの文化である。 だが中には何とも頂けない代物がある。「ジャポネース ガランチード」と言う奴。俗悪極まる差別語がいつの間に称賛の形容詞になった?いい加減にしろ!と言いたい。この言葉は日本移民初期(1930年代 ...

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ぷらっさ=心を癒したギターの音

サンパウロ 諏訪とみ  母の日が近づいてきた。母が逝ってよりはや24年が経つ。母の記憶を書くのをも供養になるやもと思って書いている。 母はずっと長男夫婦と暮らしていたけど、その義姉が入院していたので、私が母を自分の家に連れてきた。 母は娘が三人居る、私は末っ子。健康な人で、食べ物に好き嫌いがなく手のかからない人だったけれども、家 ...

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ぷらっさ=奇遇

サンパウロ 富田博義  去年WBCの日本での一次予選にブラジルが出場した時、その応援に日本へ行った60歳代の応援団が、日本の国立シニアチームと東京ドームで試合したと聞いた。国立市は私が通った高校のある立川市の隣の市なので大変懐かしかった。 そのチームが今度ブラジルへ来たというので、4月19日に見に行った。私もオールドボーイ野球を ...

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ぷらっさ=友情と極貧時代

サンパウロ  平間浩二  20歳でやっと夢を実らせ、定時制高校の機械科に入学した。戦争で家を焼かれ、幼少時は、貧乏のどん底であった。中学時代に高校に行きたいと思ったが、家庭のことを思うと断念せざるを得なかった。就職してから何時か高校に行こうと夢を抱き続けていた。2年経っても3年経っても仕事の関係で時間が取れず行くことが不可能であ ...

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ぷらっさ=三つの感動

サンパウロ  清水秀策  昨年11月、県連の“ふるさと巡り”の一行はミナス州の泉の町カシャンブーへ旅立ちました。4台の豪華バスで連なった約150人のツアー族が投宿したのは当市切ってのホテル・グローリアでありました。此のホテルで、私は3つの大きな感動を覚えましたので紹介します。  その1 ホテルに降り立った私達は大変驚きました。ホ ...

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ぷらっさ=善人と花盗人

河合五十一  人間はそれぞれの考えをもって生きて行きます。 小生の家の前に市の小公園があります。ただ芝生だけの公園なので、殺風景に感じていました。 95歳まで働いて野菜作りを止めたので、時間に余裕が出来此処に花を植えようと思うようになり、シチオに有ったエストリッタの苗を二株植えて、大きくなるのを楽しみに手入れをしました。 2年程 ...

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ぷらっさ=最上川 

サンパウロ  鎌谷昭  ずっとずっと昔に雑誌で読んでいた。 こんなアナウンサーがいるのかな、この人たちの仕事はニュースを正しく伝えることだから、これでは困るよねと思ったのは、ある若いアナウンサー「くら王」が「くら王」がと話している。最初はなんのことだかよくわからなかったが山が写っていたから「なぁーんだ、ざおうー(蔵王)」のことか ...

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