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2003年

南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(4)=ボリビア=サンファン移住地=純日本式にこだわる=パンづくり、私費訪日修業

11月4日(火)  ボリビア・サンタクルス市から百三十八キロ西に向かった所にサンフアン移住地がある。首都ラパスに比べ、こちらは低地で蒸し暑く、ブラジルに来たような錯覚を覚えた。  農協や日本ボリビア協会の人たちに工場や農園を案内してもらった。サンフアンは長崎出身の人が半分近くを占めるためか、市内に二件あるレストランでは野菜たっぷ ...

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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(3)=コロンビア パルミラ=醤油づくりを50年=四世の女性しっかり継承

11月1日(土)  麻薬、ゲリラ、誘拐など悪い噂がつきまとう国コロンビア。しかし、コロンビア人は底抜けに明るく親切である。また、日本にも非常に強い関心を抱いている。ここでも日系の人々が生活している街があった。  コロンビアのパルミラは、移住計画が行われたところであったが、治安の悪化もあり、近年は近くの街カリに移るか、日本に帰る人 ...

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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(2)=ペルー=インカ帝国の古都=中央広場のペルー料理店=日本人、繊細に経営

10月31日(金)  クスコほど古都と呼ぶにふさわしい街は南米でも少ないのではないか。まさに西暦一五三三年、スペインにより滅ぼされるまでインカ帝国の首都だったのだから。  クスコはケチュア語(インカ系言語、現在も広く使用)でへそを意味する。征服後、インカの建物や神殿の基盤の上にカトリックの教会が建てられた。中央広場は今の昔もその ...

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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(1)パラグアイ・イグアスー移住地=梅のないところのチエ=国境を越えて「花梅」

10月30日(木)  自称〃放浪の料理人コータ〃(羽熊広太さん)は、各国の食の文化を調べながら、二〇〇二年九月より一年間、中南米十八カ国を回った。その時、各地で滞在した日系移住地で、日本の伝統的な加工食や、現地の食材を上手く利用した食品に出会った。そこから日本人の食に対するこだわりや郷愁をうかがうことができた。以下はそれらの紹介 ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅移=終=懐かしのノロエステ=リンスはいま出湯の里

10月16日(木)  十月一日午前二時にホテルに入った一行は、最後の二日間をリンスの温泉地で過ごすことになった。  リンスはサンパウロから四百四十五キロ。日本人が考える温泉とは異なっているが、これがブラジルの温泉と思えば違和感はない。  ブラジルの温泉について書くと、ゴヤスのリオ・ケンチ、カルダス・ノーバス、ミナス州のアラシャー ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅移=6=養鶏、柑橘を組合わせーバルゼア〝欠かせない〟移住地に

10月15日(水)  カンポ・グランデの朝は爽快。多くの団員が一度にカフェ・ダ・マニャン(朝食)に集まるため、どこのホテルでも少し混雑するが、早く終わった人は付近を散策する。  バルゼア・アレグレ移住地への街道は、牧場や植えつけ前の畑が広がる。一時間程で着く。日本人会館に行く前に同移住地内にある小野田農場への道を辿る。アスファル ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=5=鉄道工事の沖縄県人入植―カンポ・グランデ沖縄ソバが定着

10月14日(火)  ボニートから二百七十七キロ、出発が少し遅れたため、カンポ・グランデに着くと、そのままカンポ・グランデ日伯文化体育協会会館の歓迎夕食会に向かう。三台のバスから降りて、会場に入る。  カンポ・グランデは、南マット・グロッソ州の州都で人口七十万。海抜五百三十二メートル。サンパウロからの距離は千十四キロ。マット・グ ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=4=ウエット・スーツ着て〝変身〟―ボニート、大自然楽しむ

10月11日(土)  サンパウロから千二百キロ、パンタナルというとマット・グロッソ州のクイアバからポコネ、ポルト・ジョフレにかけてのトランス・パンタネイラやバロンデ・メルガッソのワニ、ツゥユユーが群れる地帯、南マット・グロッソ州のクイアバ河とパラグアイ河が合流して流れるコルンバ付近を想像するが、このセーラ・ダ・ボドケナ国立公園も ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=3=こども劇で移住地の歴史紹介―共栄、穀物を不耕起栽培

10月10日(金)  昨夜来の雨も止んで、朝食を済ませた団員たちは、三々五々ホテルの近くを散策。緑も多く都会に見られる喧騒もない。町の郊外には穀物を収納するカントリーエレベーターの高い塔が方々に建っている。  バスは他のホテルに泊まったバスと一緒になり、四十五分ほどで共栄移住地に着いた。会館の入口には立派な野球場。そしてその奥の ...

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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=2=いま大豆の一大生産地―ドゥラードスでミサを

10月9日(木)  ペドロ・ファン・カバレェーロ市のアマンバイ日本人会館を出て、国境をまたぎドゥラードスへの道を引き返す。この辺りでもセンテーラ(土地なし農民)の旗印と、バラックともいえない掘っ建て小屋が道端に並んでいる。カステロ・ブランコ街道沿道でも見られたが、小屋に人影はあまり無く、本当に土地開放がこれらのセンテーラ農民を救 ...

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