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2005年

08年の模範に=仏伯年を検証=連載(下)=難しい「箱モノ」建設=フランスの日本年の場合

2005年12月27日(火)  実は、日本にとって「交流年」というたぐいのイベントは、なんら特別なものではない。むしろ毎年の恒例行事といってもいいぐらいだ。  九七年四月から九八年三月にかけては「フランスにおける日本年」が行われた。歌舞伎や文楽といった日本の伝統文化の紹介や、囲碁大会や琴の演奏会など一年間で五百もの行事が実施され ...

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08年の模範に=仏伯年を検証=連載(中)=2国間貿易が活性化=ポ語人気、受講者2割増

2005年12月24日(土)  在伯フランス大使のジーン・デ・グリニアスティ氏は十五日の会見で、期間中に二国間商業取引きが一七%も増加したと発表した。「ブラジルは現在では投資の四番目の受入国でもある」。仏からの投資額は前年比で三倍と急増した。仏マスコミは計千五百も記事を発表した。同仏大使は、成功だった裏付けとして仏国内のポ語講座 ...

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カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(4)=運動協力者が少ない現実=「日本文化伝承の証」か

2005年12月23日(金) ④保存運動に協力者が少ないのは日本文化伝承の証  今日まで、いろいろな日系人の個人や団体・組織に保存協力を呼びかけて来た。そんな時「地元の人はどうしているのか」「まず地元を動かさねば」などの返事が来る。日本政府の出先機関に協力を訴えると、やはり「地元の協力は無いのか」「サン・パウロ文化協会の会長でも ...

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08年の模範に=仏伯年を検証=連載(上)=地方都市でも行事=国民4人に1人が参加

2005年12月23日(金)  話題になった「フランスにおけるブラジル年」(以下、仏伯年)――。先月リオで開催された第一回の日伯二十一世紀協議会では、これを模範に〇八年の日伯交流年を行うことが申し合わされた。サンパウロ市で十五日、ジルベルト・ジル文化大臣と在伯フランス大使のジーン・デ・グリニアスティ氏が発表した仏伯年の成果を検証 ...

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カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(3)=日本文化特有の自然観を加味=自己主張なし得た好例

2005年12月22日(木)  ③自己主張の文化  前回でカザロン・ド・シャには大工・花岡一男の自己主張とも言える職人としての強い思い入れが見られることは述べた。そこで文化における自己主張について日本の文化と外国の文化の違いを考えてみたい。  私が定義する文化とは、「人間の行動を支配する働きのなかで、生まれつき持っている本能的な ...

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カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(2)=大工「花岡一男」の自己主張=仕上げに少々欠点があっても

2005年12月20日(火) ②大工・花岡一男の創造性  私がやきもの作りをしている関係上、ブラジル人より日本のやきものとブラジルのやきものはどう違うかとの質問をよく受ける。これについては次のように答えている。「日本の第一線で活躍している陶芸家の個展などを見ると、ほとんどの作品は技術的完成度が高く、この面で見るべきものが多い。こ ...

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カザロン・ド・シャ保存運動――中谷哲昇さん特別寄稿――=連載(1)

2005年12月17日(土)  ブラジル、大サン・パウロ圏の東方に位置するモジ・ダス・クルーゼス市の郊外、コクエラ地区に日系移民大工が建てた製茶工場があり、地元の人達からカザロン・ド・シャ(お茶の館)と呼ばれている。独特の有機的な造形美を備えた、この国では珍しい木造建築で、鬼瓦に刻まれた年号から一九四二年に建てられたことが分って ...

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勝ち負け問題=私の視点=安良田済=連載(下)=「自分の友人も円売人」

2005年12月17日(土)  醍醐氏は、水本サ紙社長は以前両替店を経営していたが、そう大量の円を持っていたとは考えられない。  自分は円を売ったことはない、社員のだれかが持ち出して売ったとしても自分の責任ではない、と水本社長は言ったと書いている、 だが、サ紙社に円売人がかなりひんぱんに出入りしていた評判もあった。  だから手持 ...

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『ハルナツ』第4話に感動=岩手県人会に届いた=苫米地静子さんの手紙=連載(下)=古い人間の持つ良さ=「ハルは私たちと同じだった」

2005年12月16日(金)  今考えると吹き出したくなるようなデマを愚かにも皆信じたものです。その時、私が作った日の丸の旗は、今もタンスの引き出しの奥に閉まっております。お笑い下さい。亡き夫は高倉忠次と同じく「俺は日本人だ」で生きたようです。帰化を嫌い、とうとう日本人で通しました。  ドラマの中の高倉忠次は、その頃の日本人誰も ...

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勝ち負け問題=私の視点=安良田済=連載(上)=円売り、銀行関与の真相

2005年12月16日(金)  「円売り」問題は一九四七、四八年頃、パ紙が追究していたが、途中で打ち切っている。  小生の親友清谷益次氏(本紙歌壇選者)がパ紙の記者をしていたので、会社に遊びに行っており木村義臣、斎藤広志、増田健二(増田秀一は五二年頃入社した)、そしてポ語欄を担当していた下元アントニオたちと知り合い、午後四時には ...

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