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65年前の恩讐を超えて

65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《10・終》=日の丸に託された想い=〃戦時下〃だったあの頃

ニッケイ新聞 2011年2月19日付け  百年祭は誰にとっても特別な瞬間だった——。夢にまで見た皇太子殿下のお姿をまじかに見た後、蒸野太郎(享年90)は09年8月、山下博美(享年86)は10年10月に相次いで冥界に旅立ち、日高は実行者唯一の証言者となった。  蒸野の葬儀に出席した日高は「〃最後の日本人〃だった」と感じ、胸の奥に大 ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《9》=憑き物が落ちた瞬間=百年祭で皇太子殿下迎え

ニッケイ新聞 2011年2月18日付け  蒸野太郎は46年4月の野村忠三郎事件後、サントアマーロ方面に徒歩で逃げ、道なき道を彷徨った。まるで彼が辿ることになる後の人生を暗示するかのような辛い逃避行であったという。  偶然行き着いた日本人農家が同じキンターナ出身者で、顔を見るなり「太郎か」と言い、二言目には「よくやった!」と匿って ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《8》=〃狂信者〃と言われて=ようやく来た雪解けの季節

ニッケイ新聞 2011年2月16日付け  日高徳一は大義名分を大事にする。「僕等はなにも勝った負けたのためにやったんじゃない。あくまで日本国家と皇室の尊厳のために立ち上がったんです。脇山大佐には申し訳ないが、彼個人になんら恨みがあったわけではない」。大義名分は立場によって異なるし、それがあれば何をやっても許されるわけではない。だ ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《7》=〃急変〃した戦前の指導者=どの立場で暗殺されたか

ニッケイ新聞 2011年2月15日付け  不思議なもので暗殺されたのは同じでも、どの立場で殺されたかによって事件としての意味が異なってくる。また1946年3月からの一連の勝ち負けテロ事件で狙われた人々は「負けた」と言ったから狙われたのではなく、「戦前は自分たちの指導者だと思っていたのに変節した」と思われて狙われたという部分が強い ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《6》=環太平洋を股にかけ=波乱万丈な父の生涯

ニッケイ新聞 2011年2月12日付け  日高徳一の祖父・末五良(すえごろう)は宮崎県の旧薩摩藩に属す地域の出身で1877(明治10)年に起きた西南の役の時、「〃一蔵(いちぞう、大久保利通の前名)を懲らしめないといかん〃と言って、見たことも声を聞いたこともない西郷どんのために出兵しました。貧乏士族、いや足軽だったと聞いている」と ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者脇山パウロが語るあの日=《5》=「また来る春がないじゃない」=『高原の花』に込めた想い

ニッケイ新聞 2011年2月10日付け  なにげない一日の終わりのはずだった46年6月2日午後7時、突如〃運命の夜〃が訪れた。  4人は応接間に通され、着物姿の脇山元大佐に対面して椅子に座った。客用の椅子は3脚しかなかったので、姉がもう1脚を持っていくと、ドア近くに一人だけ立っていた男が不要とばかりにそれを蹴飛ばしたのを見て、不 ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者脇山パウロが語るあの日=《4》=ジャズ愛した大佐の息子=脇山家に訪れた運命の夜

ニッケイ新聞 2011年2月9日付け  運命の日——1946年6月2日午後7時ごろ、まだ9歳だった脇山パウロさんは4歳年上のお姉さんと一緒にお客さんだと思って、玄関の戸を開けた。張り詰めた空気をまとった青年4人が祖父を訪ねてきていた。    ◎   ◎  「父(脇山一郎)が音楽や仕事で忙しかったから、お爺さんと過ごす時間が多かっ ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《3》=「臣聯=特行隊ではない」=勝ち組潰しで誤解広めた?!

ニッケイ新聞 2011年2月8日付け  日高徳一は1946年4月1日の元駐亜国大使・古谷重綱襲撃にも参加し、未遂に終わっている。同時に実行された野村忠三郎・元文教普及会事務長殺害事件の影響で、翌2日に臣道聯盟関係者1200人もの大検挙に事態は発展した。フェイラでよく使われているカーキ色のカッパを襲撃時に着ていたことから、「同じカ ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《2》=「日の丸事件」の真相は=誰の言葉が正しいのか?

ニッケイ新聞 2011年2月5日付け  1946年正月、パウリスタ延長線ツッパン郊外の植民地で「日の丸事件」が起きた。後に続くテロ事件の予兆といえるものだった。  『百年の水流』(外山脩、06年)によれば、纐纈鎮夫宅で日の丸を掲揚して正月を祝っているとの密告を受けた警察が、家宅捜索に行って入植者を暴行した上で連行、車代と称して6 ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《1》=寄贈された襲撃犯の日の丸=コロニア史の貴重な1頁

ニッケイ新聞 2011年2月4日付け  「天皇陛下のことになると全てを忘れた」。1946年4月1日早朝、勝ち負け抗争の野村忠三郎殺害時に襲撃犯の蒸野太郎(1919—2009、和歌山県)が腹に巻いていた日の丸が、1月28日午後、サンパウロ市の移民史料館に寄贈された。亡き蒸野の代わりに寄贈した、脇山大佐襲撃犯の一人・日高徳一(85、 ...

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