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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方

 「コスモポリタン(世界市民)そのものの移民女性の生涯を書いてみたいと思いました」。ブラジル日本移民史料館9階で9月15日夜に行なわれたポ語人物評伝『Cecilia Hirata』(editora Terceiro Nome刊、10年)の日系社会向け刊行記念パーティで、著者の優美(ゆみ)・ガルシア・ドス・サントスさん(42)はそう執筆動機を語った。セシリアはカトリック洗礼名、本名は美津子(88、大阪)だ。平田ジョアン進連邦下議(1914―1974)の妻だと知っている人は多いが、その世界市民的な生涯は意外と知られていない。父は外交官という裕福な家庭に生まれ、大戦前に米国、マニラ、北京、香港などで当時珍しい英語教育を受け、戦争中は大東亜大臣秘書のほか外国人向け英語放送(現NHK)のアナウンサーとして有名な〃東京ローズ〃と働き、平田進と結婚して伯国へ移住、子供を仏ソルボンヌ大学教授などの優秀な文化人に育てた。夫とは別な意味で波乱万丈なその生涯を、刊行を機にふり返ってみた。

世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=最終回=百周年で顕彰されたルイス=平田家に流れる信念の血

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け  08年6月22日、パラナ州ローランジャ市の日本移民百周式典で、ロベルト・レキオン州知事が熱のこもった演説の最後の最後で、なんども名前を挙げて感謝した日系人がいる。  「彼は勇気ある、意義深い、英雄的な日本移民子孫であり、国の近代史において根本的な役割を演じた。軍事政権へのレジスタンス( ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第5回=娘が学生運動で監獄に=州知事に直談判し亡命?

ニッケイ新聞 2011年10月21日付け  美津子は、「私は父の仕事の関係であちこち転勤ばかりして苦労したので、絶対に外交官とは結婚しないと決めていました。それなのに、政治家という最も家に寄り付かない人と結婚してしまった」と笑う。  「毎日朝早くうちを出て、子供が寝てから帰宅でしょ。子供とは日曜日の午前中しか会えないのよ。この時 ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第4回=カトリックが結ぶ愛=400年経て結実するもの

ニッケイ新聞 2011年10月20日付け  福岡県大刀洗町で、長女ヘレナと長男久幸(ひさゆき)の二子が生まれた。戦後、外務省から父ら3人に戻らないかと声がかかったが、父の兄は戦争中に亡くなり、父の弟だけが復帰し、オランダ大使を最後に退任した。  1951年、まず平田がブラジルに戻った。「先に自分が帰って、仕事を見つける。それから ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第3回=「移民の子と結婚するのか」=家族の反対押し切って

ニッケイ新聞 2011年10月19日付け  美津子は当時のNHK内で平田進と知り合ったいきさつを、こう説明する。「アメリカ二世が大勢いて、みんなとは英語で話していましたが、彼らは日本語はしゃべれても読み書きは苦手だった。その点、平田は完璧にできた。しかも、お互いにカトリックだった。家族の中でもカトリックは私一人だったので、いろい ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第2回=大東亜省で大臣秘書に=「東京ローズ」と働く

ニッケイ新聞 2011年10月18日付け  1940年7月に成立した第2次近衛内閣で外務大臣に就任した松岡洋右は、強烈なリーダーシップをみせ、それまで官僚主導だった外交を転換させるべく、重光葵(駐英大使)以外の主要な在外外交官40数人を更迭し、代議士や軍人などを代わりに送り込む「松岡人事」を実行した。この時に父・岡本久吉、テヘラ ...

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世界市民的な移民女性=平田美津子という生き方=第1回=英語で教育された才女=父と兄弟3人は外交官

ニッケイ新聞 2011年10月15日付け  「コスモポリタン(世界市民)そのものの移民女性の生涯を書いてみたいと思いました」。ブラジル日本移民史料館9階で9月15日夜に行なわれたポ語人物評伝『Cecilia Hirata』(editora Terceiro Nome刊、10年)の日系社会向け刊行記念パーティで、著者の優美(ゆみ) ...

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