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2011年

65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《2》=「日の丸事件」の真相は=誰の言葉が正しいのか?

ニッケイ新聞 2011年2月5日付け  1946年正月、パウリスタ延長線ツッパン郊外の植民地で「日の丸事件」が起きた。後に続くテロ事件の予兆といえるものだった。  『百年の水流』(外山脩、06年)によれば、纐纈鎮夫宅で日の丸を掲揚して正月を祝っているとの密告を受けた警察が、家宅捜索に行って入植者を暴行した上で連行、車代と称して6 ...

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65年前の恩讐を超えて=当事者日高が語るあの日=《1》=寄贈された襲撃犯の日の丸=コロニア史の貴重な1頁

ニッケイ新聞 2011年2月4日付け  「天皇陛下のことになると全てを忘れた」。1946年4月1日早朝、勝ち負け抗争の野村忠三郎殺害時に襲撃犯の蒸野太郎(1919—2009、和歌山県)が腹に巻いていた日の丸が、1月28日午後、サンパウロ市の移民史料館に寄贈された。亡き蒸野の代わりに寄贈した、脇山大佐襲撃犯の一人・日高徳一(85、 ...

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リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《4・終》=困難な会館の復旧作業=共助精神で地域に一体感

ニッケイ新聞 2011年2月1日付け 日系クラブの会館が川の中に—?! 1月23日に無事に支援物資を届け終えた援協役員らがノヴァ・フリブルゴを出発した後、記者だけ単独で一日現地に残った。  被害が大きいテレゾポリス日系クラブ(TNC)会館の様子を確かめようと隣町へ向かったからだ。フリブルゴからテレゾポリスへの道は土砂崩れの影響で ...

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リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《3》=安否心配して一軒一軒へ=私事は後回しの渡辺会長

ニッケイ新聞 2011年1月29日付け  「大丈夫か?!」。ノヴァ・フリブルゴ日伯分化体育協会の渡辺求会長は災害発生直後から120日系家族の安否を心配していた。災害発生から3日間のうちに大部分の家族の無事が人伝えで確認できたものの、10家族と依然連絡が付かず、会長自らが一軒一軒を訪ねて歩き、そう声をかけた。  事故から8日後の1 ...

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リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《2》=高級マンションが全壊=「誰が予想できたか?」

ニッケイ新聞 2011年1月28日付け  22日午後、リオ市内から車を走らせること4時間、180キロメートル離れたノヴァ・フリブルゴ市に向かっていた。途中、テレゾポリス市脇の街道を通過した一行は、半分以上が崩壊したヴィエイラ区を通りかかり、愕然とした。  すでに乾いて固まった泥に埋まった住居で掃除をしているのか、行方不明の家族を ...

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リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《1》=緊急事態に一致団結=日系家族を襲った悲劇

ニッケイ新聞 2011年1月27日付け  【リオ市発】「悪魔にやられた。こりゃ、日本の地震と同じだ」。昨年正月のイーリャ・グランデ島の土砂崩れに続き、今年もリオで悪夢が蘇えった。800人以上の死者を出した今回の大水害に現地日系家族も苦しみ、そんな怨嗟の声が聞こえる。リオ山間部の被災地へ、サンパウロ市御三家の呼びかけで集まった心の ...

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