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苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民

 「すべての歴史はある預言から始まりました」。ラトビア移民がパウリスタ延長線に1922年に創立したヴァルパ植民地で、ヤニス史料館(Museu Janis Edbergs)職員のルシア・ザリット・ブックォルツさん(55、ラトビア系二世)は、そんな神秘的な言葉で説明を始めた。28年に創立したバストス移住地にとって同地は、先輩格の植民地にして最寄りの登記所(出生・死亡届け)、製材所などがある便利な場所だった。32年バストス入植の古参阿部五郎さん(85、二世)に案内してもらい、同植民地を訪れた。

苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(終)=開拓精神を支えた信仰

 パルマ共同農場は最初こそ協働作業で開拓したが、徐々に独立して財産を私有に戻し巣立っていった。若者が減ると農場経営が成り立たなくなり、65年の総会でリオにあるバチスタ教会連合会に土地を寄付し、その代わりに、残った老人に毎月1最賃を生涯払って面倒を看てもらうことに決めた。  今も老人数人が残る。世話人、管理人を入れても10人のみ、 ...

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苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(4)=管弦楽団持つ文化農村

 ヴァルパでは文化活動も盛んで特に合唱がよく行われ、農家兼芸術家が多く住んでいた。「ヴァルパ・オーケストラ部が組織され、1940—50年頃には60人から80人のバイオリン奏者がうまれた」(阿部記事)とある。  史料館創設者のヤニスは絵描きでもあり、同館奥には代表的な油絵作品が展示され、文化の香りを漂わす。30年代のアリアンサ移住 ...

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苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(3)=バストスに養鶏もたらす

 祖国での宗教迫害から逃れ、〃預言〃を信じてバチスタ信徒ら2300人が大西洋を渡り、22年11月に同植民地を創設した。そんな経緯から当初より永住を目指していた。開拓当初、信徒らは財産を自治組織に委ねて2100アルケールの土地を協同購入した。協働で開墾作業を進め、後から土地割りをし、改めて個人所有にしていった。  第一次大戦や内戦 ...

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苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(2)=日露戦争の両側から移住

 「北から赤い熊(ロシア)が来る。この国を出なさい」。緊張が高まっていた1922年当時、祖国の危機の再来を暗示する〃預言〃をポ語で語る者が現われた—との噂がラトビア中に広まっていた。1890年代にサンタカタリーナ州に入植したラトビア移民先駆組20家族ほどがいたがうまく行かず、その頃すでに帰国していた。ポ語の預言を先駆組が聞いて意 ...

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苦難のラトビア移住史=ヴァルパ植民地と日本移民=(1)=謎の過去持つ一世たち

 「すべての歴史はある預言から始まりました」。ラトビア移民がパウリスタ延長線に1922年に創立したヴァルパ植民地で、ヤニス史料館(Museu Janis Edbergs)職員のルシア・ザリット・ブックォルツさん(55、ラトビア系二世)は、そんな神秘的な言葉で説明を始めた。28年に創立したバストス移住地にとって同地は、先輩格の植民 ...

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