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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年

ニッケイ新聞 2013年6月22日付け

105周年を迎えた日本移民史の中で、〃最初〃という枕詞をつけてひたすら繰り返された「笠戸丸」、その船を運行した皇国植民会社の水野龍の存在には突出したものがある。だが同じ時期に「日本人植民地」創設を実現させた青柳郁太郎(1867―1943、千葉県)の存在はあまり目立たない。1913年に創設した桂植民地を皮切りに、第二にレジストロ、第三にセッチ・バーラスと拡張し、「イグアッペ植民地」と総称した。なぜ青柳は移民でなく「植民」にこだわったのか、そしてなぜイグアッペを選んだのか。時まさに日露戦争の前後、明治時代後期は日本近代史の分かれ目だった。青柳を表看板にすえて南米への移住計画を推進したのは誰で、どんな考え方だったのか。レジストロ地方入植百周年を機に、この地方に限らない幅広い歴史的な視点から、今だから見える日本移植民の原点を探った。

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (107)=海興職員の父「情熱もう一度」=何も語らぬ母の秘めた想いは

晩年の黒瀬泰・松枝夫婦(京田三恵所蔵)

ニッケイ新聞 2014年1月21日 同概要によれば、70年代に始まった『リベイラ河流域総合開発計画』の総工費は1億2630万ドルという壮大なものだった。パ紙82年12月21日付けでも「リベイラ流域で田植え 米作も高収量予想 日伯協同開発実る」などと日本の協力で設置された排水ポンプが威力を発揮していると報じた。機材供与は5億4千万 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (106)=青柳以来の〃米の夢〃再び=リベイラ河流域総合開発計画

久保田安雄さんご夫妻(「アミザーヂ」姉妹都市協会ニュース第23号4頁)

ニッケイ新聞 2014年1月18日 入植60周年(1973年)に際して、愛知県犬山市にある世界中の建築物を集めたテーマパーク「明治村」から、同祭典委員長だった山本周作宛てに、ブラジル最初の入植地の住宅を《ブラジル植民の記念館として寄贈してもらいたい》(『60年史』147頁)と要望する手紙が届いた。1919年にレジストロに建設され ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (105)=強かかつしなやかな生き方で=町の経済を支える紅茶産業

盛大な第5回レジストロお茶まつり農商工展「Cha Expo」1970年の入口様子

ニッケイ新聞 2014年1月17日 山本周作の人柄を尋ねると、金子国栄は「長い間その下で働き、失敗したこともあったけど、山本さんから怒鳴られたことは一度もない。すごい人格者だった。山本さんには、顔をみたらその人が『後悔している』かが分かるから、そういう人にはそれ以上言う必要ないと思っていた人だった」と回顧した。 催しがある時、寄 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (104)=叩き上げの山本、世界相手に=学歴なくとも近代化を先導

自慢の茶園を指差す山本周作(山本ダリオ茂所蔵、1988年撮影)

ニッケイ新聞 2014年1月16日 山本周作(1923―2001)は和歌山県那賀郡出身で、1930年に両親に連れられ、女兄弟らと渡伯した準二世だ。目立った学歴はないが「日ポ両語が達者で、どちらで演説させてもとても説得力があった」(金子談)という。 山本はいつも「普段英語は分からないが、お茶の話をしている時は分かる」と言っていたと ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (103)=紅茶産業に新潟県人の系譜=越佐郷土会次々に送り込む

昨年10月の同地方百周年式典であいさつする金子国栄レジストロ文協会長

ニッケイ新聞 2014年1月15日 「高校時代の親友が事故で死んでいなかったら、僕はブラジルには絶対に来ていなかったと思う」。戦前移民の大半が農業から始めたが、戦後移民の金子国栄(72、新潟)=13年3月11日取材=は渡伯以来、42年間もお茶一筋の生活をしてきたが、農業自体は一度もしたことがない。 金子は1940年11月に新潟県 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (102)=こだわりのパステル作り30年=「癌を病む父は家族のウソも飲む」

荒井貢さん

ニッケイ新聞 2014年1月14日 「サンジョアキンに入ってリンゴ作りをやってみたかった」。そう振り返るのは荒井貢(みつぎ、80、柳名「荒井花生」はないき)=イグアッペ在住、13年3月13日取材=だ。雪深い山形県米沢で生まれ育った。 親がリンゴ作りをしていた。「周りを見ても小さい農家ばかりで、日本の農業に将来性はないように感じて ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (101)=藺草の元祖吉村にカブラル章=南米最古の灯籠流し54年開始

日蓮宗の石本妙豊師

ニッケイ新聞 2014年1月11日 「藺草の元祖」と呼ばれているのは、1928年に福岡県糸島郡からセッテ・バーラスに入植した吉村茂だ。32年にいったん帰国し、34年に再渡伯する際、藺草苗7キロ余りと七島藺(しっとうい)足踏式製織機を持ってきて、父孝と共に栽培を始め、同地にゴザ産業を興した。 1977年に刊行された『ブラジル福岡県 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (100)=一世風靡したゴザ産業勃興=戦後移民の活躍始まる50年代

山村敏明さん

ニッケイ新聞 2014年1月10日 「毎朝のように9時頃、特攻隊の飛行機が南洋に向かって飛んでいく。屋根に登って、オヤジと一緒に手を振ってそれを見送るのが日課でした」。レジストロ百周年実行委員長の山村敏明さん(72、鹿児島)は、数少ない故郷での幼少期の思い出をそう振り返る。 山村家は1944年末に満洲を引揚げ、知覧市の南50キロ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (99)=カフェ帝国に〃紅茶の都〃築く=「ブラジル茶」として輸出

アデマール・デ・バーロス州統領(任期1947-1951年)

ニッケイ新聞 2014年1月9日 終戦後すぐにインドなどで紅茶生産が再開して国際価格が下落し、一気にお茶恐慌が訪れた。《一キロ十三ミルになり、採算がとれなくなってしまった。一キロ十五ミル以下では生産費が上がらないのだ》(『曠野の星』1954年、第22号、55頁)そこで起死回生の策「輸出」を考え、時の州統領に一千コントスという巨額 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (98)=飛躍的に発達するインフラ=上下水道、電化、電話整備も

BR116号の開通式に出席するためにレジストロにきたクビチェッキ大統領(左から2人目、『レジストロ日系コロニア実態調査2003』48頁より)

ニッケイ新聞 2014年1月8日 青柳育太郎が一世紀前に「必ず南部は大発展する。イグアッペ植民地は、そことサンパウロ州をつなぐ交通の要衝になる」と見込んだのは当たった。ただし、発展のスピードはその見立てほど早くなかった。 『曠野の星』(1954年02月、第22号)によれば、CAC産組製茶部の専務理事だった山崎良作は《茶の工場四六 ...

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