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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀

 11月5日夜、聖市のイビラプエラ講堂は拍手と熱気に包まれた。今は亡きオスカー・ニーマイヤーと共に、連邦政府が贈る最高位の「文化勲章」を手にした大竹富江さん(99、京都、帰化人)は、その夜最大の拍手を浴びた。それは富江さんを、国民の一人として受け入れた伯国民の素直な賞賛の表れだった。翌日各伯字紙は「大竹富江は、ブラジル・ヴィジュアルアートを代表する最も著名な人物の一人」とこぞって報じた。彼女ほどはば広くブラジル社会から敬愛された日本人女性芸術家は他におらず、しかも、今なお現役で21日に百歳の誕生日を迎える。意外と少ない日本語の記録を存命の間に残しておきたい、そんな思いで取材を始めた。(児島阿佐美記者)

ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(6)=日系人芸術家との親交=「百歳なんて気がしない」

ニッケイ新聞 2013年11月28日  仕事の上ではブラジル社会が主な舞台だった彼女も、私生活ではもちろん日系画家との親交も楽しんでいた。  70年代ごろに富江さんと親しく付き合っていた彫刻家の豊田豊さん(82、山形、帰化人)は、「当時の富江さんは、もう有名になっていた間部さんや福島さんを追いかけていた感じだった。普通は40歳に ...

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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(5)=日系社会では異端児か=神経太く〃大竹時間〃貫く

ニッケイ新聞 2013年11月27日  大竹富江は日系社会の異端児だ。ある部分で肩を寄せ合うように徒党を組んで生きた、多くの戦前移民とは対照的な存在だ。彼女を知る人は一貫して、「ブラジル社会で生きていた人」と口をそろえる。  日系画壇「聖美会」(1935年設立)にも入会していたが、それほど深いかかわりはなかったとされる。リカルド ...

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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(4)=プロへの道をまっしぐら=とんとん拍子で出世街道へ

ニッケイ新聞 2013年11月26日  重厚な作品集を繰りながら、「少しずつ細部を取り除き、骨組みだけを描き始めた。事物のエッセンスだけを描いているのが面白いところ」と作品の魅力を語るリカルドさんの言葉には、母への敬意がにじんでいる。  年を経るごとに絵の細部がこそげ落ちていき、わずか数年で抽象画に移行している。同時に、初期の作 ...

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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(3)=「私は夢を追います」宣言=40歳遅まきのスタート

ニッケイ新聞 2013年11月23日  次男のリカルドさんは好奇心の旺盛そうな目に、エネルギッシュな話しぶり。「セニョール」と呼ぶと、「今何ていった? ヴォセでいい」と訂正される。年を重ねても溌剌としている所は、富江さんと同じだ。  リカルドさんは「あえて西洋的教育を受けた」と感じているようだが、富江さんに「日本語を教えたい」と ...

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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(2)=運命の分岐点は結婚出産=大事なのはファミリア

ニッケイ新聞 2013年11月22日  運命の分岐点はどこにあるか分からない——。富江さんと共に渡伯した5番目の兄は、来伯わずか1年後の1937年、日中戦争が勃発して召集が来て、わざわざ帰国して戦地へ赴き——そこで戦死した。  令状を受け取らなかったという4番目の兄・益太郎さんは当地にとどまり、聖市リベルダーデ区で製薬会社「ワカ ...

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ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(1)=自由を求めた明治の女性=「1年だけ」母との約束

ニッケイ新聞 2013年11月20日  11月5日夜、聖市のイビラプエラ講堂は拍手と熱気に包まれた。今は亡きオスカー・ニーマイヤーと共に、連邦政府が贈る最高位の「文化勲章」を手にした大竹富江さん(99、京都、帰化人)は、その夜最大の拍手を浴びた。それは富江さんを、国民の一人として受け入れた伯国民の素直な賞賛の表れだった。翌日各伯 ...

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