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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩

 著書『ブラジル日系社会 百年の水流』(改訂版も)で有名な外山脩氏がこの文章を書いた経緯は、本紙6面に2月26日から4回にわたって連載された「移民百年史出版プロジェクト 唖然、無責任極まる執行部」に書かれた通り。今回はそれを掲載することで、『百年史』に値する内容かどうか、実際に読者に評価を委ねようというもの。「日伯のナショナリズム」と「勝ち負け騒動」の深い関係を、徹底した取材に裏打ちされた、歴史や社会を見通す視野から論じている。(編集部)

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(70)  

  ニッケイ新聞 2013年8月21日    やはり7月17日、カフェランヂアから北東に60キロほど行った地点、ボルボレーマで、岩田篤冶が殺害された。(トクゾウと記す資料もある)置き手紙が残されており「神風迅雷特攻隊」と記されていた。一資料は襲撃者を「小野シンロウ、渡辺キュウサク」と記しているが、それ以外のことには触れていない。 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(71)  

  ニッケイ新聞 2013年8月22日    以上の十年史の記事は、当時のポルトガル語の新聞記事の翻訳や阿部豊の手記によって構成されている。  ところが、筆者が2012年、現地を訪れてみると、意外なことが起こった。  まず、地元の文協の斉藤修三副会長が、 「私は事件後、ここに転住して来たが、そんな大暴動があったという話は、聞いて ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(56)

ニッケイ新聞 2013年8月1日  オールデン・ポリチカは、これ以前から、日本人社会の内紛、特に臣道連盟に関する捜査をしていた。例えば、先に記した様に、ツッパンの日の丸事件では、刑事を派遣している。  が、非日系のブラジル人刑事たちには、日本人社会の内情は判り難かった。下働きの様な形で日系人を一人、二人使っていたが、彼らでは要領 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(72)  

  ニッケイ新聞 2013年8月23日    続・パウリスタ延長線方面  8月10日、パウリスタ延長線マリリアで、また事件が起きた。  認識派の時計商、平田良博が射殺された。戦時中のサントス追立ての被害者で、マリリアに辿りついて、この仕事を始めていた。  襲撃者は直後に捕らえられた。戦勝派の伊藤健一で、ノロエステ線ピラジュイから ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(57)

ニッケイ新聞 2013年8月2日  認識派史観の起源  事件は、ポルトガル語の新聞が、その日の夕刊から、デカデカと報道、以後、連日、それを続けた。  記事は「日本の戦勝を狂信する秘密結社臣道連盟のトッコウタイが、敗戦を認識する同胞の殲滅を謀った」という趣旨であった。  ここで、ブラジル日系社会史上、初めて、しかも突如、臣道連盟だ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(73)  

  ニッケイ新聞 2013年8月24日    8月20日。  ソロカバナ線アヴァレー在住の認識派の岡本良平が、3人の若い男に襲われた。が、機先を制して反撃したため、無事であった。3人は、その後逮捕された。  戦勝派もヤラレる  9月は、事件はひと休みとなった。  10月1日、ノロエステ線ペナポリスで、戦勝派の過激分子、島野並路が ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(58)

ニッケイ新聞 2013年8月3日  またも日本人狩り  死亡1、未遂1という事件に、検挙千数百人というのは、馬鹿馬鹿しいほどの多さであった。  この程度の事件に、それだけの人数が関係することなど、物理的にも絶対ありえない。  しかも容疑を明示しての逮捕ではなかった。一方的に、高圧的に荒々しい言葉で、追い立て、留置場に追い込んだの ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(74)  

  ニッケイ新聞 2013年8月27日    遠ざかる臣連の影  まず、認識派史観がこだわる様に、これら地方で起きた事件も、臣道連盟の指揮によるものであったのだろうか?  筆者は、事件の僅かな痕跡を追いながら、意識的に、臣連との結びつきを探した。が、探せば探すほど、臣連の影は遠ざかって行った。  1946年3月のバストスの溝部事 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(59)

ニッケイ新聞 2013年8月6日  特攻隊ではなく特行隊  四月一日事件の直後、これも(以下、またも同じ表現の繰返しになって恐縮だが……)歴史上初めて、突如、表面に現れ、認識派史観Ⅶに転用された「特攻隊」という単語であるが──。  これは、やや複雑である。  まず、襲撃者自身の山下、日高そして蒸野の3人は、 「何々隊という様な名 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(75)  

  ニッケイ新聞 2013年8月28日    加藤幸平も否定  地方で事件が続発中、オールデン・ポリチカは、認識派に対する襲撃実行者(逮捕者)の内、臣道連盟と関係がありそうな人間は、サンパウロへ移送して取調べを行っていた。  1946年8月、ツッパンで派手な一人一殺事件を起こした加藤幸平たち3人も、そうした。加藤の父親が臣連の支 ...

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