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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸

5月に103歳の斉木操さん

第41回県連「移民ふるさと巡り」の参加者122人(ガイドや運転手合わせ計129人)は14日午前9時に東洋街のリベルダーデ広場を出発し、4日間、リオとの間にあるパライバ平野と聖北海岸部の4日系団体と交流して回った。笠戸丸以前の安田良一や東山のピンダ農場、戦前から名を馳せた鐘ケ江農場、ノロエステ線などの奥地から戦後に多くが移動してきた経緯を含め、同地の歴史を振り返ってみた。(深沢正雪記者)

県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(15・終わり)=サンセバスチャン=勝ち負けから逃れ海岸部へ=次のペルー行きで再会約束

永井文子さん

ニッケイ新聞 2014年4月16日 原発事故で損なわれた故郷に対する、ありがちな感傷的コメントを期待した記者の期待を見事に裏切り、永井文子さんは「私は小さい時に来ているから、何も分からんのよね。息子が日本に働きに行っているから、地震の前に一度遊びにいったらしいけど…」とサバサバした様子をみせた。 1945年から47年の終戦直後に ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(14)=サンセバスチャン=霜の降りない温暖地で野菜=車エビ漁や海苔生産で栄える

内山田小夜子さんと加治屋八重子さん

ニッケイ新聞 2014年4月15日    天井がなく、梁や屋根裏むき出しの会館には地方の趣が漂っている。裏にはゲートボールコートが3面あるが、舞台には備え付けのマイクもなく、カラオケ教室もないようだ。でも森会長によれば年3回のビンゴを実施し、9月のヤキソバ祭りには500人分が売り切れるという。12月には餅つきも恒例で、 ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(13)=カラグアタツーバ=ミニスーパー経営の黒沢さん=当地唯一のウナギ養殖場跡地

黒沢公義さん

ニッケイ新聞 2014年4月12日 1962年渡伯のグアタパラ移民、黒沢公義さん(60、茨城)は、67年からカラグアに住み、19年間のバナナなどのフェイランテ生活を経て、96年頃から商店経営に転じ、現在は最もにぎやかな繁華街にミニスーパー「フェイラ・リブレ」を経営している。 調理済みパック入り野菜など、手間のかかった商品の品ぞろ ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(12)=カラグアタツーバ=山津波の惨劇で日系にも被害=奥地から終戦直後に出る流れ

長井秀夫さん

ニッケイ新聞 2014年4月11日 「何事かと思って山を見たら、見渡す限りの山肌が真っ赤になっていた。あの光景が忘れられない」。由井誠吉会長は同地最大の惨劇を思い出す。カラグアタツーバといえば、1967年3月に降り続いた集中豪雨により19日午前に突如起きた山津波が、当時稀に見る大水害として記憶に刻まれた地だ。 「忘れもしない、ち ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(11)=カラグアタツーバ=聖アントニオの見守る町=観光で栄える海浜10万都市

河田さんと三木さん、後ろが由井会長

ニッケイ新聞 2014年4月10日 一行はその後、海岸山脈を下ってカラグアタツーバ(以下、カラグアと略)に降り、同文化体育協会(由井誠吉会長)の会館で午後5時半から一時間ほどの短い交流会をした。 カラグア在住51年の由井会長(71、福島)は戦後移民で、写真館を40年間経営してきた。同会館は築41年で昨年改修工事を終えたばかり。「 ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(10)=ピンダモニャンガーバ=「安田から日本人の歴史始まる」=長男は日系初の商工大臣

八木静代さん

ニッケイ新聞 2014年4月9日 日本から米作専門技師を呼び、《日本式水田で日本式の一等米を生産した》という。カンピーナス東山農場の山本喜誉司がこちらの農場長も兼務し、付近の農地を買い集め、一時は2500アルケールを誇った(『富流原94頁』)。 安田良一が支配人をしたサプカイア耕地はコーヒー、牧牛、米作などを手広く事業を展開して ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(9)=ピンダモニャンガーバ=念願の日本語学校を実現=安田家三男が挨拶に登壇

舞台で挨拶する安田家。マイクを持つのがネルソンさん、右から2人目がヨシエさん

ニッケイ新聞 2014年4月8日 「創立期には日本人がほとんど全員入会した。青年会も盛んだった。でも父兄だけでは先生を雇う力がなかった。1964年に会館ができた後、68年から4年間、週2回我々が交代で先生をやって日本語教室もやった」と鈴木さんが言う通り、幾度も試みられたが、そのたびに困難に直面し長続きしなかった。 しかし、なんと ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(7)=ピンダモニャンガーバ=登山鉄道が分岐する農業の町=マンチケイラ山脈の麓で

『花は咲く』を合唱する日本語学校生徒のみなさん(手前右が稲垣秀子さん)

ニッケイ新聞 2014年4月4日 ミナス州アルフェナス市からふるさと巡りに参加した福元美代子さん(81、宮崎)は、「タウバテの芸能はすごかった。あれだけのレベルを地方で維持するのは大変な事」と感想を語った。コチア青年の第1回花嫁移民12人の一人として1959年に渡伯した。 3年前からミナスに住む娘夫婦に世話になっており、その町に ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(6)=タウバテ=日米の歴史的人形この地に=戦後の工業移住30人以上

安藤光明さん

ニッケイ新聞 2014年4月3日 03年に山形県米沢市から姉妹都市タウバテに寄付された「山形千歳」と呼ばれる市松人形は、1927年に米国から日本の小学校に贈られた「青い目の人形」への返礼として名工に制作を依頼したものだった。当時350円(教師の月給が40円)と高価で、つぶらな大きな瞳に真っ黒な黒髪、気品が漂う笑顔を浮かべている8 ...

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県連ふるさと巡り=開拓古戦場に思い馳せる=パライバ平野と聖北海岸=(5)=タウバテ=南半球最大のヘリ部隊見学=「W杯にも警備出動する」

最新ヘリコプターEC725の前で記念撮影する一行

ニッケイ新聞 2014年4月2日 14日午後、タウバテ文協の夕食交流会の前に一行は、市内にある陸軍精鋭が集まる航空部隊基地を2時間ほどかけて見て回った。 同地文協の元会長、田尻清隆さん(85、鹿児島)は会館の壁に貼られた日系将校の展示を指さしながら、「陸軍ヘリコプター部隊には小原彰陸軍少将ら日系将校がいたので、文協とは関係が深い ...

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