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2014年

「ギリェルメ・デ・アルメイダ館」に寄せて=中田みちよ=(2)=バビー夫人との出会い

ギリェルメ・デ・アルメイダ館(写真提供=中田さん)CASA GUILHERME DE ALMEIDA11 3673-1883 | 3803-8525 : R. Macapa, 187 - Perdizes Sao Paulo

 2008年に日伯文化連盟が日本移民百周年を記念して、ギリェルメ・デ・アルメイダ賞と銘打った『論文』を募った。社会上昇を願うばかりだった日系社会も、100年を経過したのだから、文化的なものに眼を向けなければということで、パウリスタ文学院と共催でおこなわれた。 当時の理事長が文化志向の高い人だったこともあって、一般市民の間に文学熱 ...

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「ギリェルメ・デ・アルメイダ館」に寄せて=中田みちよ=(1)

ギリェルメ・デ・アルメイダ(『サンパウロ四百年祭』(聖市四百年祭日本人協力会、1957年)

 中田みちよさんと古川恵子さんが『コスモポリス 1929年のサンパウロ』(ギリェルメ・デ・アルメイダ著)を全訳した。サンパウロ市400年祭の総裁、日伯文化連盟の初代会長を務めたあの詩人アルメイダの作品だ。日本移民全盛期のコンデ・デ・サルゼーダス街のルポだけでなく、ユダヤ移民、アラブ移民、ポルトガル移民、ハンガリー移民など各コミュ ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(23・終)=在伯同胞の心に大きな灯り=帰国翌年に黄綬褒章授与

宮中で黄綬褒章を授与された松原氏とマツ(『ブラジル紀州人材録』グラビア)

 気丈な女性として知られた妻マツは、夫安太郎を看取った後、子供たちと暮らすために一人で再びブラジルに戻り、93歳で亡くなるまでクイアバで過ごした。 マリリア在住者によれば松原耕地の初期のころ、コロノへの給与支払いが遅れたことがあった。パトロン宅に労働者が大挙して「松原を殺してやる」と息巻いて交渉に来た時、若かったマツが前に立ちふ ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(22)=戦後の1割は松原の恩恵に=グアタパラや南伯移民も

行先別の松原移民枠で入った人数の表(『移住研究』24号、20頁)

 大谷晃を特許人とする松原移民枠を使って、サンパウロ州だけで1678人が入っており、実は麻州やバイーア州より多い。バイーア州は最初のウナこそ問題が起きたが、1959年以降だけで636人も続けて入った。つまり、松原本人は不遇のうちに祖国で亡くなったが、「移民枠」という大きな〃遺産〃を置いていった。 この表から分かることは、実は石川 ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(21)=日本の国会でも松原議題に=大谷晃に引継がれた移民枠

州別の松原移民枠で入った人数の表(『移住研究』24号、20頁)

 実は、松原に関わる移民政策が日本の国会でも議題になった。病身の松原が和歌山に帰郷する直前、第22回国会の内閣委員会(1955年6月16日)の議事録によれば、次のようなやり取りがあった。 内閣委員会の田畑金光は、6月13日付朝日新聞にでた《松原安太郎氏が、結局移民の計画に失敗をして近く帰国をする》との記事を持ち出し、《こういうよ ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(20)=「生まれ故郷で死にたい」=失意のまま妻と療養に帰郷

大谷晃(『在伯日本人先駆者傳』パ紙、1955年、451頁)

 松原が横浜正金銀行の大谷晃と知り合い、その凍結資金を一時的に移民事業に流用する計画を練ったが、ヴァルガスから拒否された―と志村が書いている件に関し、大宅壮一はこう書いた。 《戦時中に凍結されていた正金銀行の金八万コント(今は半分に下がっているが当時は八億円位になった)をブラジル政府から解除してもらって、移民会社を作ろうとする計 ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(19)=ヴァルガス自殺を聞き脳溢血=悪評ばら撒かれ松原転落へ

ヴァルガスと固い握手を交わす松原安太郎(松原家所蔵)

 1954年9月30日付パ紙では、松原の資金が反ヴァルガス派議員から《一部が人殺し謝礼金として使われていることは明らかな事実である》とまで書かれた。そこに、松原側からの反論のコメントはない。 後世からみると、これは少々行き過ぎだった可能性がある。松原は共犯者として逮捕拘留された様子はないからだ。結果的にただの〃疑い〃に過ぎなかっ ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(18)=ヴァルガス自殺で後ろ盾失う=松原の懐から政敵暗殺資金?

 松原の日本移民再導入が許可された時、《これはコロニア内で態度不明だった新聞(編註=戦勝派新聞のこと)も朗報として大々的に報道した。戦勝論者の中から「移民導入不要論」の噴煙が揚がるかと思ったが、不思議な現象で、彼らは松原構想を大歓迎したのである》『志村啓夫文書2012』(岸本晟編集、278~287頁)という不思議な現象が起きた。 ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(17)=松原追って訪日する宮坂国人=横浜正銀の凍結金を流用?

『志村啓夫文書2012』にある松原安太郎の写真(右から2人目)

 松原がヴァルガス大統領からの移民導入許可を携えて、1952年11月に日本に赴くという報道が流れた時、《コロニアの元老達は「松原は何者ぞ」と慌てふためいた。早速元老達の会合が召集された。急報に接して集まった顔触れは、海興の宮腰、東山の山本、ブラ拓の宮坂、コチアの下元等の諸氏だった》『志村啓夫文書2012』(岸本晟)、278~28 ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(16)=ヴァルガスに200コントス=大統領選挙の運動費に大枚

松原耕地を訪れた時のヴァルガス(中央)、その左が松原(『志村啓夫文書2012』283頁)

 『志村啓夫文書2012』(岸本晟編集、278~287頁)によれば、終戦直後の軍部クーデターで失脚し、意気消沈して南大河州で暮らしていたヴァルガスを、1950年末の大統領選挙に出馬するように促した一人がアルキメデスで、翻意させるための軍資金として松原耕地の金庫から持ち出した金を流用したようだ。 松原の金は、本人の意思とは関係なく ...

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