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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡

ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(11)=移民の子が国家的な貢献

2004年8月14日付のニッケイ新聞

  岡本の快挙を祝って地元マリリアでは1952年9月28日に「河童祭り」と称する祝勝会が開かれ、牛3頭を焼いて1千人を招く盛大なシュラスコ会が開催された。それを報じたパウリスタ新聞52年10月2日付によれば、父専太郎が「泳ぎ始めはわしの観海流(日本古来の遠泳法の一つ)を仕込んだもので…」などと始終、上機嫌だったという。  映画『 ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(10)=南半球のハンデ乗り越え

エスタード紙1952年8月3日付スポーツ面には岡本の大きな写真が掲載された

 1952年6~7月は寒い冬だった。練習していたマリリアのプールがあまりに冷たく、練習を諦めることもあったほど。理想的な五輪準備にはならず、一時は「ただ参加できればいい」と諦めようかと迷うほどだったようだ。  ちなみに、今回のリオ五輪は、近代オリンピックとしては第31回目で南米初。それ以前に南半球で開催したのは、2000年のシド ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(9)=トビウオが変えた岡本の運命

1952年9月6日付のパウリスタ新聞。凱旋した岡本選手はルカス・ノゲイラ・ガルゼス聖州知事を表敬訪問し、アブラッソ(抱擁)された

 岡本の業績と人柄をまとめたドキュメンタリー映画『O nadador – A história de Tetsuo Okamoto』(以下『競泳選手』と略、2014年、26分、ポ語、ロドリゴ・グロッタ監督)で、姉の鈴枝さんは弟の性格を《とにかく控えめで、あまり社交的ではなかった。勉強よりも、ひたすらスポーツに打ち込ん ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(8)=反ヴァルガス的な飛魚招へい

1939年の共和制宣言50周年式典でヴァルガス大統領(前列中央)の右肩後ろに控えるバーロス聖州執政官(By Desconhecido. Colorida por Djalma Gomes Netto. (DIP) [Public domain], via Wikimedia Commons)

 戦争中にパジーリャの選手生命はピークを越え、1947年に現役引退。同時に、ブラジル五輪委員会にスポーツ振興の手腕をかわれて委員に就任した。48年ロンドン五輪ではブラジル代表の旗手として参加。ある意味、そこからが彼の本領発揮だった。 戦後もヴァルガスとの確執は続いた。ヴァルガスは1951年1月に、今度は選挙で選ばれて大統領に返り ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(7)=戦前からの意外な繋がり

山本貴誉司から日本刀を受け取るパジーリャ(左、『Padilha, quase uma lenda』36頁)

 調べてみると、確かにパジーリャは戦前からスポーツ局の仕事をしていた。ヴァルガス独裁政権からサンパウロ州執政官(1938~41年)に任命されたアデマール・バーロスからの信任が厚く、パジーリャはサンパウロ市アグア・ブランカ区のベイビ・バリオニ体育複合施設、イビラプエラ体育複合施設コンスタンチノ・ヴァス・ギマランエスなどの建設を開始 ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(6)=ヴァルガスに抵抗した反骨の人

パジーリャの伝記『Padilha, quase uma lenda』の表紙

 それにしても「パジーリャ局長」とは一体何者なのか? 当時のパウリスタ新聞を見ても「パジーリャ局長」としか書いていない。日本移民が敵性国民としてさげすまれていた戦時中から特別に日本人プールに使用許可を出し、勝ち負け抗争の余韻が強い終戦5年目に日章旗掲揚に許可を出すほど、日本移民に肩入れした。そのくせに「パジーリャ氏」としか出てこ ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(5)=影の功労者、パジリア局長

戦後初の日の丸掲揚を讃えた記事(パウリスタ新聞1950年3月28日付)

 パカエンブーのプールに日章旗掲揚を許可したサンパウロ州体育局長は、戦争中に日本人プールの使用を特別に許可した時と同じ「パジリア氏」だった。 パウリスタ新聞1950年3月28日付には、パジリア局長のコメントが掲載され、《この大会に外国選手が参加するということはかつてなかった。この例を破ったこと、そのものに我々は非常な悦びを感じて ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(4)=全員起立の裡に国旗は掲げられ=夜空に高く響く君が代

パウリスタ新聞1950年4月1日の水泳団一行来伯特集にある「飛魚歌会」

 敗戦国だった日本は1948年開催のロンドン五輪には参加ができなかった。しかし1949年6月に日本の国際水泳連盟復帰が認められるやいなや、古橋や橋爪ら6選手は、ロサンゼルスで8月にあった全米選手権に招待参加し、400メートル自由形、800メートル自由形、1500メートル自由形で「世界新記録」を樹立した。 サンフランシスコ講和条約 ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(3)=64年前、競泳で初メダル=日本移民受難の時代に曙光

『パウリスタ新聞に見るコロニア30年の歩み』(1977年)16頁にある訪伯水泳団の記事(中列左から橋爪、古橋、浜口)

 1942年1月、リオで行われた米国主導の汎米外相会議で、アルゼンチンをのぞく南米10カ国が対枢軸国経済断交を決議、ブラジル政府も同29日に枢軸国と国交断絶を宣言した。 サンパウロ州保安局は「敵性国民」に対する取締令として、「自国語で書かれたものの頒布禁止」「公衆の場での自国語の使用禁止」「保安局発給の通行許可証なしの移動禁止」 ...

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ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡=(2)=開拓地プールでカエルと泳ぐ

パウリスタ新聞1952年8月3日付では岡本の五輪3位はトップ記事でも、その次の左カタでもなく、「3段記事」扱いだった。でも当時の伯字紙は大見出しで報じていた

 父専太郎はいわゆる農業移民ではない。1892年北海道札幌市生まれのインテリで、測量技師の資格も持つ自由渡航者として1912年にイギリスからアマゾンを経て入伯した。母ツヨカは福岡県の出身だった。 専太郎は息子に「お前はサムライの子孫だ」と説いたほどだから、実際に士族の出で、明治期に本土から北海道開拓に入った家系かもしれない。 1 ...

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