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2017年

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(12)=アルゼンチン日系二世が文協会長

日本祭りの最後に並んだ文協役員と主要スタッフ、来賓(マイクを持つのが玉田会長、右から7人目が後藤総領事)

 ロンドニア日伯文化協会の会長は、なんとアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの日系人、玉田マリエラさん(49、二世)だ。戦後移民の娘らしく、日本語が達者で、日本研修中にブラジル日系三世(サンパウロ州トゥッパン出身)の夫と知り合い結婚した。  一時はサンパウロ市タトゥアペに住んで広島県人会の会員にもなったが、「仕事が忙しくて、活動 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(11)=「日本人死ね! 国に帰れ」

 田辺さんが、光日本語教室を始めたきっかけは、パラナやサンパウロから来た若い日系人が、子供に日本語を教えたいと言い出し、「お前は一世だから日本語教えてくれ」と頼んできたことだ。  「ボクは6歳で日本から来て、一生懸命に働いてきた。日本でもブラジルでもまともに学校にいっていない。だから日本語を教えるのはムリだ、と最初は断った。でも ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(10)=砂金掘り闊歩する無法地帯

現在でも違法浚渫が横行して問題になっているマデイラ川のガリンポ筏(フォーリャ紙2016年11月28日付電子版)

 地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)の指に、フリーメイソンの紋章が入った太い金の指輪があるのに気付いて、由来を尋ねた。  「ボクもメイソンに入っているんですよ。しかもこの指輪は、僕がガリンポ(砂金掘り)をしていた時代にとったもので彫金した。80年から84年頃までガリンポをして計20キロはとった」と何げなく言う。実に多彩な経歴を ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(9)=かつての栄光を胸に抱いて

かつてのポルト・ヴェ―リョ駅舎に展示(放置?)されている機関車の実物

 もとをたどれば、鉄道建設のアイデアはボリビア側が希望したものだった。第1次ゴム景気(1879~1912年)の時、最大の生産地ボリビアは輸出先である欧米まで搬出ルートを探していた。1800年代、産業革命と共に欧米ではゴムの汎用性が高く認められ、需要が高まった。  ラパスから米国に運ぶのに、海路では南米最南端ホーン岬周りで180日 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(8)=枕木一本に一死体、死の鉄道

 ポルト・ヴェーリョ地方紙「ジェンチ・デ・オピニオン」電子版、07年10月12日付に《カンデラリア、忘れられた英雄たちの墓場》との見出しの記事を見つけた。  いわく《セントロから2キロにある神聖な歴史を持つカンデラリア墓地は、ほぼ一世紀の時流れの中で忘れられ、失われ、なかば雑木林に埋もれているが、彼はまだそこにいる。すべての大陸 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(7)=笠戸丸の頃から日本人がいた町

 サントアントニオ発電所のガイド、マウロさんから「ここには昔から滝があったから、その地形をいかしてダムを作った。滝があったから、昔はここより上には船が上がれなかった。だから、ここから8キロ下流を起点にしてマデイラ・マモレ鉄道(Estrada de Ferro Madeira-Mamore)を作って、滝を陸路で迂回してボリビアまで ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(6)=巨大なサントアントニオ発電所

故郷巡り一行

 3月17日午後、サントアントニオ(SA)発電所を見学した。その際、ガイドのマウロ・バスコンセーロさんは「ここがアマゾンで最初のダム。4500万人分の電力、3568メガワッツの発電能力がある。タービンは50本あり、うち6本分の電力はロンドニア州とアクレ州で使用しているが、残りの44本分は国全体の電力システムに供給している」と説明 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(5)=死んだ母の胸元で泣く赤子

日本人墓地に向かって慰霊ミサをする様子

 二日目の3月18日朝、南緯9度、ほぼ赤道直下らしいジリジリと焼けるような日差しになった。慰霊法要をするため、一行はバスで移住地の墓地へ向かった。  幹線道路から移住地の道にはいると、すぐに泥道に。田辺さんに聞くと「今は雨期の真っ最中。大雨降ったらこんなバスは入れないよ」とのこと。今でこれなら、63年前はさぞや酷かったに違いない ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(4)=「出られない人が残った」

一行に日本人墓地の由来を説明する田辺さん

 植民の実施要綱には「移民の義務」という項目があり、《入植と同時に仮所有権を与えるが、決定的な所有権は10年以内に5千本のゴム樹を植えつけてから与える》(『グヮポレ移民50年史』23頁)とある。  ゴム生産のための植民地だとよく分かる。ところが主作のゴムは種から《収入を得るまで最低7年はかかる》もの。それまで陸稲、マンジョッカ、 ...

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(3)=マラリアに五十数回罹る

1954年5月20日、神戸移住斡旋所で移住する30家族一同が記念写真(『グヮポレ移民50年史』、トレーゼ・デ・セテンブロ文化協会、2003年)

 17日の夕食会に駆け付けてくれた地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)は、ロンドニア日伯文化協会の発起人の一人。6歳で家族と入植し、ずっとポルト・ヴェーリョに住む。29家族のうち、現地残留組は田辺家、須藤家、門脇家、松野家など4、5家族だという。「母親は3人生きているが、父親(家長)の方は全員死んだ」とも。  やはり過酷な生活が ...

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