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アマゾン開拓 関連記事

トメアスー=幻の世界的エネルギー構想あった=アマゾン移住80周年記念企画=大物政治家との深い絆=千葉三郎の想い振り返る=岸信介が〃お忍び〃で

 アマゾン河口最大の都市ベレンから南に百十キロにある〃北伯移民のふるさと〃トメアスーを舞台にした、現代に通じる幻の大エネルギー構想があったことは、あまり知られていない。ブラジルに縁のある大物政治家といえば、セラードに入れ込んだ渡辺美智雄氏(大蔵大臣など六大臣職)や、海外移住家族会連合会の会長を長年務めた田中龍夫氏(通産大臣、文部 ...

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届かなかったアマゾンの声=皇室ご来伯は絶望的=トメアスー「本当に無念」=「ぜひ代わりの方来て」

ニッケイ新聞 2009年6月5日付け  「アマゾンの声は届かなかったか…」。九月に開催されるアマゾン移住八十周年に、皇室のご来伯の可能性がなくなったことが先々週初め、マナウス総領事館から日系団体代表者に伝えられた。現地では「本当に無念」と強く残念がる声が聞かれ、この対応に複雑な想いを持ったようだ。特に〃アマゾン移民のふるさと〃ト ...

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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年6月5日付け  今回アマゾン取材した中でも、グアマ植民地の話は別格だった。川べりの標高ゼロ地帯のために水位の上下で農地が水面下に沈んだり、医者がいない中で九割がマラリアに罹患、大半が脱耕したところだ。日本政府が一九五五年からの約二年間で百二十五家族もの米作移民を送り込んだが、〇七年現在わずか十九家族▼五七 ...

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E・サーレス移住地=たくさんの記念行事=今年節目の50周年=6月、石川県から慶祝団来伯

ニッケイ新聞 2008年1月10日付け  アマゾナス州のエフィゼニオ・サーレス移住地が、日本移民百周年の今年、入植五十周年を迎える。六月二十三日には五十周年記念式典を挙行。さらに節目の記念誌発行など、様々な記念事業・イベントが計画されている。式典には、同地に最も多く入植した石川県から慶祝団が出席する予定だ。宮本倫克実行委員長(エ ...

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アマゾン移民の貴重な写真=史料館=拓殖学校校舎、高拓生など31点=上塚司の孫芳郎氏が寄贈

ニッケイ新聞 2007年12月27日付け  アマゾンへの日本人移民導入に尽力した上塚司が所有していたアマゾニア産業研究所関連の写真データ三十一点が所有者で孫の芳郎さんから、先月二十一日、ブラジル日本移民史料館に寄贈された。ヴィラ・アマゾニア測候所、拓殖学校校舎、アマゾニア産業研究所実業練習生、ジュート収穫の写真などに詳細な説明が ...

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3月に北伯入植50周年=東京農大会=総会で大島会長を再選

2007年2月16日付け  ブラジル東京農大会は十一日、サンパウロ市の農大会館で第二十八回定期総会を開催した。この日は役員改選が行われ、現職の大島正敬会長をはじめとするシャッパが承認された。同会では今年、戦後の農大生北伯入植五十周年を迎えることから、三月にパラー州トメアス移住地で記念式典を開催。日本、サンパウロからも関係者が同地 ...

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高拓生入植75周年祝う=パリンチンス=ウエツカ学校で記念式典=100人参集、兵どもの夢辿る=入植地跡も訪問

2006年10月26日付け  兵どもの夢辿る――。高等拓殖学校卒業生(高拓生)入植七十五周年式典がアマゾナス州パリンチンス郡ヴィラ・アマゾニア地区の市立ツカサ・ウエツカ学校で行われ、上塚司の孫にあたる上塚芳郎氏、マナウス総領事館の瀬川進総領事、汎アマゾニア日伯協会の小野重善会長、パリンチンス日伯協会の武富マリオ会長、ベレン高拓会 ...

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パリンチンスに上塚司学校=〃アマゾン開拓の父〃=市が顕彰=10月に入植75周年祭を=「日本人墓地を修復したい」

2006年4月28日(金)  「アマゾン開拓の父」上塚司の名を冠した市立農業学校が、アマゾナス州パリンチンス郡ヴィラ・アマゾニア地区の、まさに高拓生発祥の地であるアマゾニア産業研究所跡地に三月十三日に開校した。イナウグラソンに出席したパリンチンス日伯文化協会の武富マリオ会長は「農業学校にこの名がつけられたことは意味深い」と喜ぶ。 ...

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大耳小耳

2006年4月28日(金)  〃アマゾン開拓の父〃上塚司は熊本県出身、神戸商業学校(現・神戸大学)卒業後、衆議院議員にまでなった。上塚周平の従弟にあたる。彼が開設したアマゾニア産業研究所の試験場で丈が他より高く、枝が出ていないジュート(黄麻)優良種二本が発見され、一本は増水で倒れて水に流されてしまったが、もう一本の茎に付いた十粒 ...

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広島デジタル博物館=サンパウロはアマゾン?=考えられないミス連発

2006年3月22日(水)  広島市は博物館建設計画があった一九八〇年代に職員を派遣し、広島出身者から寄せられた約四千点以上の写真や農機具などを収集しており、全国でも有数の移民関係資料を所有する。  しかし計画は頓挫。資料は同市北部の倉庫に死蔵されていたが、JICA横浜の海外移住資料館の「移住資料ネットワーク化プロジェクト」実施 ...

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