海外日系新聞協会の共同企画-米国日系人のお節料理=『二世キッチン』手本に

「雑煮、巻きずし・いなりすし、チキン照り焼き、刺身、煮しめ、ようかん…」
 一見して何のことかと思われるかもしれない。これらは『二世キッチン』という一九七五年にセントルイスJACLが発行した、日本食を中心としたレシピ集で紹介されているお正月料理のリストである。このほかに六点のメニューが、お正月料理として紹介されている。
 サンフランシスコ在住の日系二世、半田勝範さん(七九)は、同レシピ集を手に取り、「私にとって、日本料理のバイブルのようなものです」と話した。
 カリフォルニアでは、家族、親せき、友人を集め、たくさんの料理を作り、元日を過ごす日系人家庭が多い。だが、日本のように厳粛な年越しというわけではなく、和風ホームパーティーのような形になる。とにかく、和風のごちそうをたくさん作り、大勢の人が楽しむのだ。
 半田さんも「毎年はしない」と断わりながらも、『二世キッチン』のレシピを基にして、お正月のための料理を作るという。ベイエリアには、日系食料品店が充実しているので、食材を手に入れるのに苦労しない。
 お雑煮やいなりずし、キンピラゴボウ、すき焼きなどを作るという。だが、お雑煮以外のメニューは厳密にはお正月料理とはいえない。おせちのように、お正月に作る料理にはどのような意味があるのか、もちろん知らない。
 半田さんは、子供のころ、母親がかなり手の込んだものを作っていたことを記憶している。「大みそかの夜は、母は一晩かかってお正月料理の準備をしていました。日本から取り寄せた食材も使っていたようです。大変だと思いながらも、母は案外楽しそうに料理していました」と語る。「元旦の食卓では、母に縁起がいいからと言われながら、並べられた料理を食べました。それが何であったのかは、よく覚えていません。中には、それほどおいしいとは思えないものもありましたが」と笑った。
 半田さんは、両親が保守的で、友達の家々をあいさつに回る(年始か?)など、お正月を大事な日としてとらえていたと記憶している。だが、世代が移るにつれて、日本的なお正月の意識はだんだんと薄れていく。
 昨年、加大バークレー校を卒業し、現在SFで勤務する木村エミーさん(二二)は、サクラメント出身の四世。木村さんのような若い世代にとって、お正月はクリスマス休暇の一部でしかない。今年は、友達と一緒にロサンゼルスに遊びにいく予定だという。「子供のころは、自宅でごちそうを食べて、祖母の家を訪ねて食べて。とにかく、食べて、食べて、食べてました」。食卓には照り焼きチキン、巻きずし、キンピラゴボウ、かまぼこなど、前述の『二世キッチン』に掲載されているのと同じようなメニューが並んだという。
 世代を重ねる日系人家庭のお正月の過ごし方や意識が変化していく一方で、ベイエリアには、戦後に日本から移住してきた人も多く住む。彼らはどのような料理を作るのか。
 在米生活三十五年余りになるコンコード在住の辻早智子さん(六二)は、日本で生まれ育ったため、お雑煮、おせちなど、味付けもかなり本格的なお正月料理を一通り作ることができる。
 例えば、お雑煮はチキンでダシをとる、東京風のあっさり味。それに、えび、かまぼこ、三ッ葉、大根おろしなどをいれる。少し変わっているのは、もちを油で揚げて、揚げ雑煮にすること。「茶道の先生だった母に教えてもらったので、揚げ雑煮にするのはうちだけかもしれません」と話す。
 カリフォルニアに移住して、二世と結婚した辻さんには、日系人家庭のお正月の食卓はやはり異質に映るようだ。
「日系人家庭では、お正月には、若い世代が古い世代の家に集まることが多いようですね。三、四世は、日本食の作り方を知らない人たちが多いので、自然とおじいちゃん、おばあちゃんの家に集まるのでしょう」
 前述の半田さんは、いままで子供や孫たちにせがまれて、お正月の料理を作っていた。だが、ここ数年は、家族らが集まることもなく、年末にレシピ集を開くこともなくなっているという。
「子供たちは、スキーに行くなど、今年のお正月にはほかの予定があるようです。二世の私にも、親たちの世代と比べて、お正月がそれほど大事なこととは思えなくなっています」
 世代が重なるに連れて、日本の伝統から乖離(かいり)していく意識の変化を止めることはできないようだ。
 半田さんの『二世キッチン』の前文には、こう書かれている。
「一世の親たちから伝わる豊かな文化と遺産を、私たち二世は、忠実に子の世代(三世)に継承していくために」と。