海外日系新聞協会の共同企画=ブラジルの年末年始

 キリストが年末に生まれていなければ、ブラジルでも日本のおせち料理がもっと大切に継承されていたかもしれない。
 運悪く(?)、新年はブラジルの国民的行事であるクリスマスの六日後に迎える。当地の婦人たちはお正月料理で腕を振るおうにも、盛大なクリスマス料理の準備で既に腕は振り疲れている。これが現実。 
 一世主導の家族であれば、お正月の方を尊重することもあるようだが、今は二、三世の時代。クリスマス優先は日系人家庭とて例外ではなくなった。自然、おせち料理は出来合いのもの(日本からの輸入食品)などで簡単に済ませることに。作るといっても、「お雑煮程度」との声がもっぱらだ。
 しかも、時節は夏真っ盛り。いくら日もちが考慮されているおせち料理とはいえ、ブラジルの太陽の前ではとても。食欲だって、暑さで萎(な)えている。日本のように煩悩を追い払う鐘の音などが聞こえてくれば少しは涼しいかもしれないが、大みそかに除夜の鐘などはもちろん耳にしない。代わりに「ポンポン」と景気よく響いてくるのはシャンパンの栓を抜く音。
 「初もうでに」といって、教会やお寺に足を運ぶ人は少数派。多くは海へと向かう。海の女神イエマンジャ(アフリカの原始宗教の神)のシンボルカラーである「白」の洋服を身にまとって。最近は下着まで縁起をかつぐ人もいる。黄色のそれなら、新年は金運が上昇するといった具合に。こうして多くのブラジル人は百八の煩悩を一つも減らすことなく、希望いっぱいに新年を迎える。
 サンパウロ郊外に住む日系二世のジュリアーナさん(二三歳 大学生)は今年の元旦を自宅から近い海で過ごした。家には一応、赤飯や散らしずし、煮物、それに鳥の丸焼きなどが「おせち料理」として用意されていたが、味見程度に、三十一日の深夜から友人らと海へ。両親は一月一日の早朝に開かれる地元日本人会主催の新年会に出席するために早めに床に入った。ジュリアーナさんは花火が上がる海岸で、イエマンジャにシードルとユリの花を捧げ、今年最初の太陽が真上に来る時まで、シャンパンを飲んで騒ぎ続けた。ちょうどそのころ、両親らはおとそで乾杯していた。
 二○○○年のお正月はすっかりブラジル流に過ごしたジュリアーナさんだが、九九年はユニークな経験をした。友達の日系人の家でのこと。「ボア・サイーダ、ボア・エントラーダ、フェリース・アーノ・ノーボ」の掛け声で迎えた年越しのとき、年越しそばと一緒にザクロの実が出されたという。一人七粒のザクロの実が配られた。西洋ではザクロは豊じょうの象徴。ポルトガル移民が持ち込んだ風習らしい。食べた後に残る種はロリエの葉に包んで財布に入れておくように言われた。「お金がたまりますように」と皆で唱えた。
 ジュリアーナさんはまた、年越しの際、「レンズ豆のスープ」を飲んだこともある。これはアラブ系移民の縁起かつぎの一つと言われている。ブラジルは六十以上の国々からの移民で成り立っている国。多彩な風習と縁起かつぎの料理が各国移民と共にやって来た。それらは今、「ブラジル」の中で溶け合い、随所にその名残を見せている。 
 そこで、初期日本移民の年末年始の過ごし方が気になる。サンパウロ人文科学研究所の森幸一研究員が『人文研2』に書いた「食を巡る移民史(一)」に詳しい。「にわとりのダシで取った汁でうどんかそうめんを食べて、年越し。元旦は朝から『屠蘇』を飲み、『雑煮』を食べる。『屠蘇』といっても日本酒はないから、輸入品のポートワインを一口ずつ。『雑煮』の餅がない場合は野菜のオスマシにメリケン粉の団子を入れたスイトンであった」とある。おせち料理に関しては、輸入食料品店ができるまでは「入手可能な材料をふんだんに使った『大量の料理』こそが植民地における正月料理だった」と指摘する。
 今はブラジルにいても日本のものが何でも手に入る。東洋人街リベルダーデ区の日本食料品店の店主の多くが中国系になったとはいえ、日本の食文化に詳しい台湾出身の人がほとんどで、品ぞろえに怠りない。数の子やきんとんなど日本では季節限定の品も年間を通して、店に並んでいる。食べたければ、お正月でなくとも食べられる。だから、「お正月には子供の家に行っても、お雑煮にくらいしか作らなくなった」というのは水本澄子さん(八〇歳、サンパウロ市在住)。
 水本さんはエスペランサ婦人会の代表。毎年十二月、同婦人会は恒例として、おせち料理の講習会を開いてきたが、最近は講師が見当たらないため、中断している。会員の大多数が二世になり、クリスマス料理の講習会を開いた方が受けがいいということもある。
 「息子たちの世代はクリスマスに力を入れますから。夫が生きているときはいろいろと作っていましたけれども。息子たちと一緒にお正月を過ごすようになるとね、サンバが流れる大騒ぎの年末年始になってしまって。クリスマスの後ですから、ごちそう疲れもありますし、お雑煮で十分。でも、この味だけは伝えたいと思っています」