俳優・竹本孝之の連載エッセイ-第2回-「今楽しければ」の風潮

2001年10月4日(木)

 この夏、私は中学生日記の「心の旅」というシリーズで、初めて中国を訪れた。向かった先は、広東省広州。中国の南玄関とも呼ばれる都市である。そこの広東電子台(テレビ局)では、我中学生日記と似たような番組を制作しているらしい。中国の中学生達が今抱える問題や流行等、リアルな視線で作り上げるスタイル。出演者も皆、中学生。殆ど中学生日記と同じである。私は、その出演者の何人かと話をする事が出来た。
 彼等との話の中で、今私が知っている日本の中学生と圧倒的に違うと感じたのは、ナショナリズムである。私はこの言葉を「国を愛する心」と定義付けるが、彼等とのインタビューの端々にそのナショナリズムを強く感じられた。
 今回の旅で、私は中国に持っていった一つのテーマが有った。今日本で大きく問題になっている、「勉強って本当に必要なのか?」と言う問いかけに、彼等は「勉強は必要だ。自分の為、家族の為、地域の為、ひいては国の為になるから」と事も無げに答えてくれた。何か一つ腑に落ちない私は、「でも、それってすごくストレスを感じない?」と少し意地の悪い質問をすると、「ストレスは感じる。でもそれが力になるんですよ!」と笑顔で答える。
 「国の為って言っても、自分がこの中国の為に役立つ人材になりたいのです」
 一人の子供がそう言ったのなら、少し優等生的な発言だなとも思えるが、誰に聞いてもほとんど同じ答えが返ってくる。私は愕然としてしまった。今の日本の子供達に同じ質問をして、この答えが聞ける事は殆ど無いのではなかろうか。社会主義が色濃く残る中国だからこその答えなのか?
 私の目から見ても、今の日本人は刹那的に生きる傾向が在るような気がしてならない。その日さえ、その一瞬さえ良ければ的な生き方。今私が付き合っている、中学生日記に出演している子供達の中にも、自分の将来へのビジョンが全く無い、もしくは見えないといった子が沢山いる。「今楽しければそれで良い」そういった風潮が日本中に蔓延している気がする。手本を示すべき大人がそれでは、変わりようも無いのか…
国が違い、生活も習慣も違い、受け継いできた歴史が全く違う二つの国だから、全てを真似しろとは決して言わない。でも、お互いの悪い所を直し、良い所を見習う。そういった謙虚な気持ちが必要ではないだろうか。自分を含め、今の日本人は何か大切な物を見失い続けていたのではないかと、気付かされた旅になった。