俳優・竹本孝之の連載エッセイ-第4回-激変する生徒の環境

2002年2月21日(木)

 私がこの中学生日記と言う番組に参加してから、間もなく一年が経とうとしている。振り返って見ても、ただ驚きの連続だったとしか言いようがない。何が驚きかと言うと、子供達の考え方は勿論の事、友達・クラスメートとの付き合いで、それぞれ自分のキャラクターを変える器用さ、又は変えなくてはならない人間関係の複雑さ。抱え込んだストレスの大きさ。携帯電話やパソコン等のツールの充実等々、数えてみればきりがない。
 自分が今の子供達と同じ年齢だった頃と比べてどうだったと言う考えは、最早持ち合わせていない。そういった物差しで計れるような時代ではないのだという事を受け入れてから、私は逆に楽になった感がある。
 文化の発展と書くと、些かオーバーではあるが、確かに子供達を取り巻く環境が急激にかわったという事は、誰しも感じる事であり、それはアイテムだけではなく、大人もその一端を担っている事を、忘れてはいけないのではないだろうか。
 『十年ひと昔』と言う言葉がある。仮に私が子供達と同じ年齢だった頃、二十数年前になるが、その頃には生徒を叩いた教師が、『体罰でクビになる等、信じられなかった。私もかなり愛の鞭をもらった一人だが、その事で教師を恨んだり、学校へ行かなくなったりとかはなかった。それが日常茶飯事だとかなり怖いものがあるが、良く見る光景であったのは事実である。しかし、今教師が体罰を下すと、途端にPTAをはじめ、さまざまな団体から抗議を受けることになる。理由のない『暴力』は、いけないに決まっているが、少々過敏になりすぎている気がしてならないのは、私だけであろうか。ともかく、今の子供達は圧倒的に打たれてない。教師はもちろん、親にもいまだかつて叩かれた事がないと言う子供達の声を多数聞いた。何故だろう? 子供達の親は私とほぼ同世代なのに…。
 データーによると、今の日本の親達は、子供と友達になろうとする傾向が強いそうだ。自分達が受けた教育を、反面教師として子供に接する親達。私は人の教育方針にどうこう言うつもりは毛頭ないし、そのことを批判するつもりもない。しかし、学校で言うところのクラスという集団のリーダーが教師ならば、家族という集団のリーダーは親でなければならないと思う。子供の人格形成にあたり、良きところは誉め、悪き所は時には痛みをともなって教える。大人が大人として子供になさなければならない大切な仕事だと私は思うのだが……。