イグアスー移住地造成時=〝縁の下の力持ち〟

1月9日(木)

「パラグアイのイグアスー移住地の草創期、私の仕事は炊事一切をまかなうことでした」と述懐する中山ツマさん(七六)は、一九二六年、長崎県五島列島の生まれだ。現在、孫たちに囲まれて同移住地で元気で暮らしている。
 移住地の事務的手続きが完了して、移住振興株式会社の職員三人が現地に入ったのが一九六〇年十月十日、すぐに事務所や宿泊所の建設が始まり、十一月下旬に完成した。そして、十二月一日、アスンシオンで移住振興会社の職員だったツマさんが、現地事務所で働く人たちの食事を作るためにイグアスーに派遣された。移住地に入った初めての日本人女性となったのである。
 十三歳の時に両親に連れられてラコルメナ移住地に来たので、パラグァイに住んで六十三年余となる。イグアスーに派遣された当時はすでに子供がいたので、子供をアスンシオンの叔父に預けての赴任となった。
 初期の移住地は、原始林の中で泥んこ道、雨が降ると車が通れない場所であった。煮炊きも薪を燃やすか、石油コンロであった。「早朝から、次の日の準備をして夜遅く寝るまでまったく休みがなかったですね。それが、ちっとも苦にはならなかった。若かったんですね」と言う。
 今、移住地を縦横に通る道路は中山さんが男たちに提供した食事(エネルギー)が原動力となって完成されていったのであろう。まだうら若き一人の女性の奮闘があったのだ。
 八人の子宝にも恵まれて、孫十三人、ひ孫三人のおばあちゃんとなっているツマさんの長生きの秘訣は「一生懸命に生きることの連続」だという。
 そして「イグアスーはとても良い移住地ですよ」と微笑む。