越境する日本文化=舞踏(4)=受入れの素地はバロック趣味?=古典芸能の定番に食い込む

3月20日(木)

 サンパウロ日本文化センターが携わってきた企画を顧みると、ブラジルが注目する日本文化の「いま」の推移が分かる。
 特に九〇年代に入って、映画・古典芸能といった定番に食い込む勢いを見せるのが舞踏だ。ここ最近は毎年のように日本からの公演がある。
 古川あんず、山海塾、大野一雄、室野井洋子、山田せつこ…。評論家や大学教授を招いてのレクチャーもあった。ブラジルの舞踏家、研究家を支援するケースだって少なくない。
 「文化的なアバンギャルドであり・・・日本と世界を繋ぐいまを反映する」として、アメリカの作家カレンテイ・ヤマシタさん(日系三世)が、舞踏家大野一雄さんの名前を真っ先に挙げたのはもう七年前。
 東京で開かれた国際シンポジウム「二十一世紀アジア太平洋文化の課題」(トヨタ財団主催)で講演したヤマシタさんは大野さんを「世界に通じる『純粋に日本的』なもの」と語った。
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 世界中に日本の舞踏家が散らばっている。肝心の母国の反応が少し冷めていた時期があった。そんな評価の低迷が彼らの海外進出をうながす一因にもなった。
 大野さんが初めてブラジルに来た八六年。これを歓待したのはフランス大使館で、日本大使館ではなかった。古典芸能であれば丁重な応対を見せる外交関係者だが現代文化にはいささか薄情な面も。
 日本の批評誌「ダイアテキスト」(京都芸術センター発行)にブラジル文化情報を送る藤野陽子さんは「ブラジル人はとっくに次の段階の日本文化をみたがっていた」と言い切る。「それがアニメであり舞踏だった」
 ではその人気の秘密はどこに?。藤野さんはまずブラジル人のバロック趣味を指摘した。歴史から見ても、枠から外れていくものを好む気質があるとか。
 確かに大野さんは着物やドレス姿で舞う。白塗りの肌にリアルに立ち上がる官能も特徴的だ。
 「踊りに漂う猥雑さやエロチシズムは見逃せないでしょうね。この国では日本人は生真面目の代名詞。舞踏はそうしたイメージを見事に裏切っている」
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 日本人のエロスを強烈に印象付けた芸術に、映画「愛のコリーダ」がある。七六年、ブラジルでは当時の興行記録を上回る大ヒットを記録している。
 ソニア・ブラガ主演の映画「フロール婦人と二人の夫」が千万を超える観客を動員し、話題を集めていた年のことだ。
 センターの高橋穣さんの発言が興味深かった。「『愛のコリーダ』は実はブラジルの映画監督グラウベル・ロシャに捧げられた」。大島渚監督の口から直接聞いたそう。
 六〇年代始めのとある日々、パリ。同じアパートで二人が過ごした、というのは本当らしい。その頃大島さんは女優の小山明子さんと既婚の身。小山さんの実父は臼井牧之助さん、ブラジルに胡椒をもたらした功績のある人物だ。そんな縁も手伝ったのだろうか。
 「ここからは推測の粋を出ないのですが」。その顔は裏腹に自信あり気に見える。「グラウベルは大島さんを通じて、舞踏の何たるかを把握していた」。大島さんは舞踏の創始土方巽さんと親しかった。十分にありえる話。
 証拠はある、という。グラウベル監督の「黒い神と白い悪魔」。六四年のカンヌ映画祭で絶賛を浴びた作品だ。「あの場面、覚えていますか。『殺人的な光だ』と言って、太陽を拒む仕草。役者の肉体がなんとも舞踏的なんですねぇ」
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 それからほぼ四十年が過ぎたいま、「ブラジル 舞踏」とインターネットで検索する。気鋭のダンス批評家として知られる桜井圭介さんの文章に出くわした。「土方巽没後十三年」とあるので、九九年か。話題は日本の舞踏家田中ミンさんの舞台で踊るブラジル人ダンサーたちのこと。桜井さんは書く。 
 「サンバの身体、スキあらばいつでも踊りだす身体がブトーのいわば『堪える身体』と合力し・・・現時点(の舞踏界)では例外的な勝利」を収めている、と。
「舞踏」連載に当たっては藤野陽子さんの協力を得ている。
(終わり、小林大祐記者)
=連載終わり=
■越境する日本文化 舞踏(1)=身体芸術日本生れ=振り付け家の楠野さん導入

■越境する日本文化 舞踏(2)=命がけで突っ立った死体=創始者土方さん 西洋古典舞踊の否定へ

■越境する日本文化 舞踏(3)=脚光浴びる「日本の身体観」=癒されるブラジル人たち

■越境する日本文化=舞踏(4)=受入れの素地はバロック趣味?=古典芸能の定番に食い込む