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ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(下)=誇りとルーツを見直す場=ペルー日系人の心の故郷

4月11日(金)

 【リマ発】今年三月九日にカニエテの慈恩寺で彼岸法要が営まれた。読経が響く中、昼食が用意されている中庭である一世婦人に出会った。
「お経聞いたら、お腹が空いた」。
直江春子さん、九十歳。一九三三年、二十一歳の時にカニエテの近くのマラ耕地に入植する。写真婚であった。
 「着いた当時は泣きましたよ。はい。結婚するのは、知らん人だしね。酷いところで電気もない。日本も貧乏だったけど、もっとだったですよ。最初の三カ月はサトウキビ畑に行って泣いてました」。
 しかし、その頃にはカニエテ耕地やその周囲の耕地も活気が出始めていた。お盆や正月には広場に集まって、祭りに興じたり、運動会もすでに行われていた。
 直江さんは夫と靴や服を売る商店を始め、ペルー日系人の代表的職業でもあった理髪店なども営み、子供たちを育て上げた。
 「住めば都ゆうけど、ありゃほんま。やっぱりペルーがええですよ。日本は暑いし、寒いしね」と話す直江さんは現在、リマで長女と住んでいる。
直江さんが「亡くなった御主人の墓がマラにあるので、盆と彼岸には欠かさず参る」という慈恩寺は、サンタ・バルバラ耕地(一九〇八年当時に一番多くの日本移民が移住していた)に上野泰庵という浄土真宗の僧侶が移民有志たちと寺を建立したことに端を発する。
 太平山南漸寺と名付けられたその寺はペルー、ひいては南米における最初の日本人の手により建立された仏教寺院であり、日本語教育や託児所などもあった。 文字通りの寺子屋であったが、一九二四年にはサンルイス地区(現在の場所)に移転し、泰平山慈恩寺と改称している。
 ある統計によればリマの日系人の二十四パーセントが習慣的に仏式による葬儀を行っているが、日常では九十パーセント近くがカトリックを信仰している。
しかし、ペルー日系移民にとって、慈恩寺で行われる法要に出席することは自分たちの軌跡を辿ることにも繋がるのだろう。九九年の移民百周年の際に行われた法要では、約五百人の関係者が参加している。 
 今回の法要でも、ブラジルから曹洞宗の僧侶を招き、リマからの二百五十人を越える参加者が五台のバスに乗り込み、カニエテを訪れた。
「法要に参列する人の多くはリマからだが、その数が二百人を下回ったことはない」と話すカニエテ日系人協会の城間ミゲール会長によれば、現在、カニエテには約七十の日系所帯があり、一世で残っているのは二人のみだという。
 どこの日系社会で見られるようにこのカニエテでもデカセギで多くの日系人が日本へ働きに行っている。
 しかしー、と城間会長は言葉を続ける。「ペルーの日系人にはカニエテの地を、そして慈恩寺を忘れずにいてほしい」。
 それは、ペルー移民にとってカニエテは特別の土地なんだー、と強調しているようでもあった。 
ペルーでもブラジルと同じように、多くの二世は教育を与えられ、社会的にも高い地位に就いている。しかし絶対的少数である日系ペルー人が自分のルーツから目をそらすことは難しい。
 約一世紀前に父母の祖国から海を越えて、多くの日本人がたどり着いたこの地を訪れることー。ここカニエテで手を合わせる彼たちの姿は自然で美しく、日系人としての誇りとルーツを見直す作業を行っているようでもある。
慈恩寺の本尊の後には、千以上はあろうかという位牌が安置されている。
 位牌には俗名や日本の出身地が書かれており、着物姿の写真がついているものもある。
 本堂の上部を覆い尽くす移民やその子孫たちの名前が書かれた木札が、まるで法要に参加している人たちの守護霊のように一瞬―、見えた。
 カニエテ。日本移民最初の入植地であると共に、移民たちの信仰の拠りどころでもあった。ペルーの日系人が初期移民たちの恩を慈しむ限り、この土地に人の絶えることはないだろう。  (堀江剛史記者)

■ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(上)=ある2世の不思議な体験=「地獄(カニエテ)で」死んだ仲間の供養を」

■ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(中)=一年で半数以上が病死=「棺桶が間にあわない」

■ペルー 南米初の日本人入植地=あぁカニエテ耕地(下)=誇りとルーツを見直す場=ペルー日系人の心の故郷