ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(8)=亡命後 再燃する日系差別=「帰ってくるな」と語る2世

5月3日(土)

 「この国には差別が厳然としてある。残念ながら、それは日本人、日系人に向けられることも多い」
 ある日系旅行社の代表ははっきりとした口調で話した。 
 ある意味で白人支配階級対有色人種の戦いでもあったともいえる九〇年の大統領決戦投票で、それは顕著に表れている。
 「日系人の入店を拒否する高級レストランや、順番を後回しにするような露骨ないやがらせをするゴルフクラブなどもあった」と、前出の代表は証言する。
 同時期に現地ルポを行った笹井宏次郎サンパウロ新聞社元デスクは「バルガス・リョサの選挙地盤地域の放送局であるミラフローレス放送が『フジモリが当選したら、日系人は一人ずつ殺される』などという発言を流したこともあった」と、連載記事の中で報告している。
 乱暴にいってしまえば、ペルーは白人を支配階級に置き、その下にチョーロと呼ばれる混血層、そして最下層には数千年の太古から、この地の主人公であったインディオたちー、というヒエラルキーが存在する。
 建設会社、フジタ組の深沢アウグスト社長は、「日系人はかつてその構造の外側にいた。しかし現在、経済的、社会的にも地位は低いものではない」と説明し、現在の様々な日系人攻撃を「我々に対する嫉妬ですよ」と冷笑する。
 ペルー在住のフリージャーナリストである三山喬氏は「暴力事件などの話はまだ聞かないが、『日本に帰れ』『あっちへ行け』などという暴言を吐かれたという日系人はフジモリ亡命当時多くいた」と証言する。
 同氏によれば、日本人、日系人を揶揄するような発言を垂れ流しするようなラジオ局も多いという。
 フジモリ亡命後には、あるラジオ局の放送で、日系人への悪意に満ちたある聴取者の意見がラジオの放送で流されている。
 「フジモリの引き渡し早期実現のために、(一九四〇年の暴動のような)反日運動を起こすべきだ」
 当時、日系人協会はフジモリ反対派のデモ隊に会館を取り囲まれ「フジモリを連れて来い」「金を返せ」などいうシュプレヒコールの最中に置かれていた。
 状況を重くみた日系人協会は、有力紙「エル・コメルシオ」(〇〇年十二月二十四日付)に「ペルーのためにー平和と統一」という意見広告を出した。 
 広告の内容を要約すると「日系人協会は政治団体ではなく、フジモリ問題に関して、日系人は無関係であり、フジモリが日本で辞職したことは認めがたい」というものであった。
 この意見広告を出すにあたっては、秘密裏に行われた日系人協会の幹部会議で決定されたという。
 地元メディアの取材に対しての想定問答集まで用意されたというから、幹部たちの苦悩はいかほどのものであったろうか。
 九〇年のフジモリ政権誕生時に日系人協会の会長を務めた池宮城アウグスト氏(写真上)に現在の状況について聞くと「ひどいものですよ・・」といって苦笑いするのみであった。
 この広告が掲載されてから、直接日系人協会に対してのデモなどはなくなったという。
 しかし、日本大使館には今も虚偽の政治団体やテログループの名を語った脅迫電話が入っているのも事実だ。フジモリ亡命後に大使館は、在留邦人を対象にした安全対策連絡協議会を開き、政治集会には立ち寄らないよう注意を喚起している。
 取材時に日系人協会の会長であった土亀エルネスト氏(現在今野ビクトル会長=写真下)にフジモリ問題についての意見を聞くと「政治の話はちょっと・・・」と事実上の取材拒否を受けた。
 協会側としては、かなり慎重な立場を取らざるを得ないのが現在の状況といえるのだろう。 
 ある二世は語る。「九〇年の時、こうなる状況をみんな恐れて、フジモリの出馬に反対したんだ。次期選挙への出馬? とんでもない。もう帰って来ないでくれといいたいね」  
(堀江剛史記者)

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