フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(中)=勝ち負け事件は過去の話=「膿は早く出さないと手遅れに」

5月28日(水)

 五十年が経過した今なお、デリケートな側面を持つこの事件を扱うにあたり、彼なりに考えた。「〃臭いものにフタ〃的態度では、いつまでも傷口は癒されない。むしろ、隠れた奥の方で、腐敗が進み、気がついた時には取り返しのつかないことになっている可能性もある。そんな時は、逆に早めに膿を出して、太陽の下にさらした方が早く直ると僕は考えたんだ」。
 彼にとって困難だった日系人取材の突破口の一つになったのは、元特攻隊員のヒダカ・トクイチ氏だった。「何ヵ月も前に取材をお願いし、断わられていたヒダカから、突然、『取材を受けてもいい』という連絡が入ったんだ。その時、僕はフランスに住んでいたが、なにはさておき、飛行機に飛び乗ってサンパウロへ戻り、旅行鞄を家に持っていくのも惜しんで、彼のいるマリリアへ直行した。以前、フォーリャに掲載した僕の真剣なインタビュー記事を読んで、その気になってくれたらしい。彼は言ってくれた。『もし必要なら全てを語ってもいい』と」。
 ヒダカ氏の語った証言は、同書中でも最も重要かつ印象深いエピソードの一つとなった。
 ヴェージャ誌〇〇年十一月二十二日付の同書を紹介する記事で、それまでブラジル社会では、ほぼ誰も知らなかった臣道聯盟を説明するために「東洋のゲシュタポ」「日本のKKK」というセンセーショナルな言葉を比喩として使っている。
 同書を読んだ日系人の中には「大筋に間違いはないが、いかんせんセンセーショナルな部分だけを歴史から切り出すことによって、結果的に事実を誇張する傾向がある」とその執筆手法に批判的な声もある。
 モライス氏は日系コロニアから「批判的なメッセージは少し聞こえてきたが、大半は好意的なものだった」と語る。「執筆以前から、実はそのことは気にしていた。出版された時に大反発が起きるかもしれないってね。だから、一章書き終わるたびに、日系の知人に読んでもらい、真摯に批判を聞いたし、自分なりに客観的にというか、距離を置いて書いたつもりだ」。
 彼の中では、現在の日系人の活躍と臣道聯盟事件は、まったく別次元の物語だった。「現在の日系社会はインテグラソン(統合)の最中にあり、ブラジル社会に対する貢献は目覚しい。勝ち負けの頃の話というのは、完全に過去の物語であって、それが現在の日系人に対するマイナスの評価につながるものではないと思う」。
    (深沢正雪記者)

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(上)=ブラジル史としての物語=非日系だから中立的に書ける

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(中)=勝ち負け事件は過去の話=「膿は早く出さないと手遅れに」

■フェルナンド・モライス氏インタビュー=臣道聯盟がブラジル社会に問いかけたもの(下)=独り歩きを始めた物語=01年の最高書籍大賞を受賞