和牛ブランド確立へ=見た目よりも味で勝負=見本市で注目集める=ブラジルには約一万頭

6月14日(土)

 柔らかな霜降り肉を食べたい。ブラジルに生きてきて、そんな思いに駆られたことはありませんか。例えば、「靴底のゴム」のような牛肉を噛むとき。ああ、やっぱり和牛がいい―。ブラジルは世界第二のビーフ生産国だ。最近の統計資料をみると、その飼養頭数は約一億六千万頭とある。和牛も確認できた。混血種として一万頭が登録されている。ブラジル和牛生産者協会(飯崎貞雄会長)では「まだまだ(和牛の飼育は)実験段階」としながらも、「いまは牛の外見を重視するブラジル。今後は、見た目はいまひとつでも味が絶品の和牛に注目が集まるはず」と、和牛ブランドの浸透に期待を膨らませる。

 協会には二十団体が所属。その多くが日系だ。なかでも、マット・グロッソ・ド・スル州の久枝牧場(久枝俊夫牧場主)では五百頭もの和牛が飼育される。久枝さんのところでは、食肉処理した和牛を試験的にサンパウロ市内の高級日本食レストランに出荷している。
 霜の降り具合が気になる。牛脂肪交雑と呼ばれる基準を参考にすると分かるという。これは一―十二の段階で「サシ」の入り方をみるもので、松阪牛の最高クラスであればまず「十二」の評価。ブラジル和牛はどうだろう。「七から九といったところではないでしょうか」(飯崎さん)。
 先週サンパウロ市のイミグランチス・エキスポセンターで「Feicorte」(ブラジル肉牛見本市)が開かれた。国内の見本市では最大規模のものだ。世界三十一カ国・百二十業者の出展があるなか、協会では日本ハムの小寺健一さんに和牛についての講演を依頼した。
 参加者の注目を特に集めたのは和牛一頭当たりにかかる飼育コスト。「日本では八千五百ドルが平均」と小寺さんは話した。「アメリカが八百ドル、ブラジルは六百ドルで飼育できる」。
 ブラジルでの和牛生産はやはり有望?協会の飯崎さんはしかし、「日本式に高カロリーの配合飼料で育てると、どうしてもコストがかかりすぎてしまう。他国と比較すれば安いといっても出荷数が安定しない限りは高い」とみる。乗り越えるべきハードルはまだ高い。
 小寺さんによると、「霜降り肉は『病気寸前の牛』のもの。じっくりと肥やす訳ですから。他の牛のように牧草を食べているだけでは育たない」そうだ。
 和牛といってもおいしく食べられるのはロースの一部分。それ以外の場所はほかの牛と同じ価値でしかない。つまり、ロースの価値だけで、牛一頭の飼育にかかったコストをほぼ賄うことが必要だ。いくら和牛の評価が高くても、多種の牛肉が出回る国内市場だけで、将来の展開を考えるのは限界がある。
 飯崎さんはそこで、輸出商品として期待を賭ける。「日本は口蹄疫などの問題でいまは難しいが、アメリカへの輸出は十分に計画できる。評価も取引額も高い」。
 ブラジル和牛の嚆矢は、一九五六年十二月に逆上る。神戸港からブエノスアイレス丸で二匹の但馬(たじま)牛がサントス港に着いた。兵庫県知事の肝入りだった。
 港まで出迎えたのはブラ拓の宮坂国人。「いやー、これは立派だ。毛並みも器量もいいぜ」。当時、パウリスタ新聞は「受け入れ先はブラ拓。コチア産組の呼び寄せ独身青年移民と同じケースともいえる」と報じた。牛の名は「和泉」と「勝浦」。二匹とも雄だった。
 農業技師として世話に当たった酒井孝雄さん(七三)に、種牛のその後を聞いた。「北パラナにあった南銀の牧場に入って、ゼブ種と交配を重ねたのですが、コーヒーを栽培するような暑い土地ですから、いつしかまいってしまってね」。来伯後三、四年で次々と息を引き取ったという。「いまでも末裔はあの辺に生きているという話ですが」。
 いったんは途絶えた和牛生産への道に光が射すのは、一九七〇年代に入ってから。和牛の受精卵や精液などを日本から輸入しようという動きがみられ始めた。九〇年ころからは、牧場経営を行っているヤクルトが、和牛の精液販売事業に乗り出し、現在に至る。
 ただ、和牛の生産者協会を立ち上げてからが一苦労だった。一九九四年に設立も、政府より許可が下りたのはその七年後。それでも奮闘したのは「和牛は日本の特産品。簡単にはあきらめたくなかった」と飯崎さんは語る。
 ワギュウはいま歩き出したばかり。「サンパウロの高級レストランではアンガス種の人気が高い。でも、和牛の生産が軌道に乗れば取って代われる」。