混迷の中での船出―百周年祭執行委員会が設立―あわや流会寸前=運営面の課題重く=全伯団体との打合せ必要

6月17日(火)

 ブラジル日本移民百周年記念祭典執行委員会設立総会が十四日午前十時から、文協小講堂で開かれ、執行委員会が設立された。準備委員会が一年半にわたって協議・作成した規定案であるにも関わらず、様々な点で参加者から不備が指摘され、「後日改めて総会を開催して承認したほうがよい」という意見が多々噴出し、あわや流会かというの瀬戸際が何度も見られた。総会議長となった上原幸啓文協会長らの「今後早急に不備を修正することを前提に、とりあえず承認してほしい」との説得により、承認され、執行委員会の委員長・副委員長五人が選ばれたものの、今後の運営のあり方に大きな課題を残した。

 総会のために、全伯四百数十日系団体に招待状が発送されたが、参加したのは三十七団体の代表、約五十人だけだった。遠くはカンポ・グランデ(MGS)やベロオリゾンテ(MG)からも参加者はいたが、それ以外はサンパウロ市近郊の団体代表が大半を占めた。特に第二の日系集団地であるパラナ州からは、同州の移民の日式典を翌日に控えていたこともあって参加者はいなかった。
 総会議長に選任された上原文協会長、その他、山下ジョルジ準備委員会代表も壇上に上がり、イワミズ・マリオ現専任理事が司会進行役を務めた。サンパウロ総領事館の佐藤宗一主席領事、JICAサンパウロ支所の小松雹玄支所長らも壇上に呼ばれた。
 規定案の検討の中で、ベロオリゾンテの代表者は「適当でない表現や文法的間違いがあちこちにあり、このままでは承認しがたい。通信手段の発達した現在、電話、FAX、Eメールなどでやり取りし、修正していった方がいい」と提案した。
 様々な修正点の指摘の中で、今回を流会にし、九十日後もしくは四十五日後に再び総会を開き、それまでに各団体からの修正案を集約・反映させるなど、やり直したほうがいいのでは、という意見が相次いだ。
 日本語普及センターの谷広海理事長は「規則案を作るだけで一年半かかったあげく、せっかく開いた総会で執行委員会が設立されない。そんなことで大丈夫か。規定に問題があるなら後回しにし、少なくとも次の議題『執行委員会委員長並びに副委員長の選出』をし、早く事務局を設置した方がいい」と提言した。
 しかし、「規定が決まっていないのに、どうして人事だけ決められるのか」などの意見がで、再び混沌とした。さらに「九十周年まではサンパウロ地区を中心とした記念式典をやってきたが、百周年からは全伯日系団体の記念行事にするという。それならそのような組織にしなくてはならないのでは」「副会長は規定にあるように五人ではなく、州別の代表も入れて、十人、十五人にしたほうがいいのでは」など、様々な修正案が百出した。
 上原議長は「コミュニティー内の内向きなイベントではなく、ブラジルの国全体で祝うべき行事。全伯のみなさんに満足してもらえるよう、引き続き規定は修正を続けることを前提に、まずは採決したらどうだろうか」と呼びかけた。
 午後一時すぎ、イワミズ氏が「承認される方は、そのまま座っていてください」と突然のように宣告。承認延期の論陣を張っていた参加者も、あっけにとられたように、誰一人立たないまま可決された。
 今後十五日間の間に、各団体が修正案を文協法務委員会あてに送り、それを設立委員会が討議して改正案を作成し、四十五日後に再び総会を開いて再討議することが申し合わされた。
 その後、渡部和夫文協改革員会委員長から、執行委員会の委員長として「文協会長」、副委員長にはサンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、日伯文化連盟、パラナ日伯文化連合会(アリアンサ)、ブラジル日本商工会議所の代表がなることが提案され、拍手で承認された。
 おわりの挨拶で上原議長は「分裂するのでなく、同じ船の一員として、一緒にやっていくことが大事。我々も、コミュニティーに奉仕する下僕として、一所懸命やっていきたい」と決意をあらわにし、三時間半にわたる総会の幕を閉めた。
 とりあえず、待ちに待った準備委員会から執行委員会への〃名称の前進〃ではあった。しかし、全伯の催し事として企画運営していくためには、それなりの音頭とりの方法と、幾多の地方代表団体との綿密な打ち合わせが必要。その意味で、これからが本番といえる。具体的な百周年記念企画を打ち出すまでの道のりは、まだまだ長そうだ。