コラム 樹海

 きょう六月十八日は、日本移民95周年。第一回笠戸丸移民がブラジルに巨歩を印した日だ。各地で記念ミサに始まって多くの行事が催される。今から四十五年前の移民50年祭には、生存者百五十人を数えたのに、こんにちはパラナの中川トミさん一人になってしまった。時の流れに容赦はない。新陳代謝は続けられる▼ありあんさ史研究家・木村快さん寄稿の『日本の歴史から消えるブラジル移民』(十四日付本紙4面)に衝撃を受けた読者は少なくなかったと思う。なにしろ《長野県史》(山川出版社)に日本力行会が中心となり全国から入植者を募ったアリアンサ移住地が、長野県人だけで固まった「ブラジル信濃村」と断定してる――というのだ。現地に足を運び調査もしないで世に出す〃県史〃とは、そんなものか、と情けなくなる。移住地事情を熟知する人々の一笑を買うだけだ▼木村さんによると歴史学研究会編の《日本年表》(岩波書店)にはブラジル移住に限らず移住に関する事項は全く見あたらなぬそうだ。日本側が現時点で移住史を抹消したとしてもそれは通るまい。なぜなら移民自身のわれわれがこれを拱手傍観できるはずがないからである▼五年後の移民100周年には、移民でなければできない真実の「ブラジル移民史」をつくる必要があるのではないか。資料収集に全力を挙げる時がきた。一世健在のうちにやり遂げたい。好機を逸したら悔いを残す。「移民の日」にこのことを痛く思う。         (田)

03/06/18