女性が一人で移住して来た〝勇気〟を表現=「花嫁移民展」開く ロランジア=花婿不在の結婚披露宴写真も=「持参の着物着る余裕なかった」=いま明るく元呼び寄せ女性

6月19日(木)

「女性が一人でこの国に来る勇気を、何らかの形にして表現したかった」。パラナ州日本移民資料館館長、谷川悟さんは資料館を前にして語った。パラナ日伯文化連合会(嶋田巧会長)は、六月十五日から九月十四日まで、パラナ州ローランジア市の同資料館で、「花嫁移民展」を開催している。
 谷川さんは、北海道出身。北海道で小学校教員を定年退職したあと、夫婦で渡伯した。この展示会のため遠くはカストロ市まで向かい、七人の花嫁移民を取材。その努力が実って、花嫁移民が日本から持参した写真、衣服、手紙など多くの品々を集めた。
 今回の展示会で特に印象深いのは、花婿不在の披露宴写真。両家の親類縁者が集うなか、花嫁の不安を吹っ切った表情が印象的だ。
 花嫁移民は、コチア青年と深い関係を持つ。五五年以降六七年までの十二年間にわたり、二千五百八人のコチア青年が海を渡った。その大部分の二千二百九十五人が、十八歳から二十四歳までの独身青年だった。「独身者ばかりを入れて、彼らの結婚問題はどうするのか」。コチア青年移住当初から、このような意見は多く聞かれた。
 この声に応えるように、五九年三月、コチア産業組合は、日本からの花嫁呼び寄せを初めておこなった。神戸出港のあめりか丸に花嫁移住者十二名が乗船、翌月二十三日サントスへ入港した。日本での職業は、OL、看護婦、幼稚園の先生など多岐にわたった。
 その後、コチア産業組合は、日本拓殖農業協同組合連合会と協力して結婚の仲介をした。日本で、花婿候補者は十二日間の研修を受けると同時に、花婿候補のカードをみて相手を選ぶ。その後、各自文通し、充分に納得してから結婚の段取りとなった。
 谷川さんは、「花嫁移民は男気のある人が多い。『戦後意気消沈している中、日本男性が弱々しく見えた』と語る女性もいるくらい」と、取材中の印象を語った。
 来場者の女性はかつての呼び寄せ花嫁。「渡伯の際に持ってきた着物は、他人にあげるか、布団として使ってしまった。当時は、コーヒー農園の仕事が忙しく、着物を着る余裕も無かった。もっとも今は、アポゼンタードで悠々自適」と、笑っていた。呼び寄せ花嫁、花嫁移民とも苦労を乗り越え、余生を大いに楽しんでいるのだろう。