政府開発援助=ODAの現場を行く=――環境の世紀に――=第二回=前任2人は途中帰国=赤道直下の厳しい任務

7月19日(土)

 日本政府が実施するODA(政府開発援助)のうち、JICAは返済義務のない二国間贈与の技術協力を担当。二〇〇〇年度までにJICAがブラジルにつぎ込んだ協力金は約八三〇億円で、世界でも六番目に多い。また、中南米では最大の享受国だ。
 JICAがベレーンで実施中のプロジェクトが、「ブラジル東部アマゾン持続的農業技術開発計画」。アマゾンに生活する小農の農業活動を持続的なものにすることで、熱帯林の保護を図る。
 ブラジル政府の要請により、一九九九年から二〇〇四年まで実施される予定で、日本側の実施機関はJICA、ブラジル側はブラジル農牧研究公社(EMBRAPA)となる。
 「ODAで出来ることは、実はほんのわずか。我々に出来ることは方法論を教えることだけです」。
 芳賀克彦ベレーン支所長は、ODAに対するJICAの立場をこう強調する。実際、このプロジェクトでも一方的なJICA主導ではなく、長期専門家には、「カウンターパート」と呼ばれるEMBRAPAの研究員が合同で研究や開発に当たる。
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 「海外に行ってみたかったから」。北大農学部を卒業後、JICAに入ったきっかけを笑顔で振り返る石塚幸寿さんは、胡椒栽培の専門家兼日本側のチームリーダーだ。一九七五年のレシフェ支部を皮切りに、サルヴァドールやトメアスーなどブラジル各地に滞在。また、ドミニカ共和国でも胡椒栽培に携わったエキスパートでもある。
 プロジェクトには、一年以上の契約期間で派遣される長期専門家が石塚さんを含めて四人。リーダーである石塚さんは、自らの専門以外にも気を配り、プロジェクトの進行具合やEMBRAPAとの橋渡し役としても活躍する。「野球で言えば監督みたいなものです」と笑顔を見せる石塚さんだが、赤道直下の高温多湿な気候の中では、簡単な仕事ではない。実際、石塚さんの前任だったリーダー二人は病気のため、任期半ばにしてベレーンを去っている。自らの健康を管理することも、異国で活躍する長期専門家には欠かせない。
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 JICAでの駆け出し研究者だった七〇年代末に、トメアスーのアマゾニア熱帯農業総合試験場(INATAM)で三年間を過ごした石塚さんには、パラー州の森林破壊の推移を身を持って知る研究者の一人だ。
 「二十数年ぶりに足を運んだが、破壊のひどさに愕然とした」と石塚さんは、九九年にプロジェクトに派遣された当初を振り返る。 アマゾンにおける森林破壊の問題点は、単なる伐採の多さではない。仮に森林が消失しても、そのままの状態が続けば数十年後には元通りにはならないまでもある程度の回復は見込める。しかしながら、現実には一度伐採された土地では短期間での耕作が行われ、その結果地力が低下。森林が育たない荒廃地がアマゾン各地で、増加して行く。牧場はその典型例となる。
 不法伐採の取り締まりも効果が上がらず、植林による森林の回復にもばく大な費用と長期間の管理が求められることから、森林を守る即効薬は見当たらないのが現状だ。
 「人間の全ての経済活動は自然資源に支えられている。まだ手が打てる今のうちにきっちり対策を講じないと」と芳賀支所長。   過去五十年間に、人類はアジアで四二%、アフリカで五二%、中南米で三七%の森林を破壊してきた。
 「みどりの国際協力」として世界各国の森林保護に協力してきたJICAの中でも、世界最大の熱帯林アマゾンを相手にするベレーン支所が担う役割はとりわけ重い。(下薗昌記記者)

写真: 「自然破壊のひどさに愕然」と語る石塚さん。日本側のチームリーダーも兼ねる

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