県人への熱い眼差し=『宮崎県南米移住史』=600頁を一人で調査執筆=宮崎ブラジル親善協会=徳永さん

8月7日(木)

 お世話になった県人会の皆さんへの恩返しと、宮崎県人の移住の記録を残したいという思いがきっかけですー。たった一人で『宮崎県南米移住史』の取材、執筆を行った宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也事務局長(七二)。穏やかな話振りに移民に対する熱い思い入れが時折混じる。来伯すること十一回。日系社会と移民した宮崎県人に熱い眼差しを向け続け、日本でも留学生や研修生に対し、地道な支援を行ってきた。徳永さんが長年傾けてきた情熱の詰まった同移住史発行により、〝日向の民〟の歴史が、一層重みと幅を持つことになるだろう。
 
 一九七四年にMRT宮崎放送の記者として県人会創立二十五周年を取材したのが徳永さんの初来伯。トメアスーなどで活躍する県人や留学生OBに焦点を当てた三十分番組を四本製作したのがブラジル、そして日系社会との出会いだった。
 その時に持った移民に対しての興味と関心は三十年間消えることがなかった。 来伯のたびにブラジルや移民関係の資料を収集し、県人であった故田尻鉄也人文研理事や、故斎藤広志サンパウロ大学教授とも親交を深めた。 
 定年した九八年に同親善協会の事務局長に就任してからは、宮崎を訪れる留学生たちの世話も行ってきた。
 〇〇年という世紀の区切りに「宮崎県人の移住の歴史を総括し、記録を残すという意味でも移住史の編纂を行わなければ」と県からの助成を受け、編纂作業に取り掛かった。
 「やはり苦労したのは、資料収集だった」と徳永さんは、三年間に及んだ仕事を振り返る。参考書籍や引用文献は百七十近くを数え、本書に盛り込まれた豊富な写真もその苦労を物語る。
 「県庁で廃棄寸前だった」というある移住者が県に送ったアルバムも手に入れ、ブラジルに移住した一家族の素顔にも迫った。
 ブラジルだけではなくペルー、ボリビア、パラグアイでも取材を敢行。コロンビアやベネズエラ、チリなどの移民にも言及し、名実ともに南米における県人移住の歴史を網羅した内容となっている。
 「記録性を重視した」というその言葉通り、巻末には市町村別による戦前、戦後の県人移住者名簿やコチア青年、開発青年隊の県人名簿も収録されており、資料的価値も高いといえるだろう。
 六百ページを越え、事典ばりの重厚さを持つ同書を手に「私の三十年の集大成」と徳永さん。
 〇二年三月に宮崎県南米移住史刊行委員会から千部が発行されており、約半数をブラジルに、残りは日本各地の図書館や関係機関に配布される予定だ。
 七月二十九日に行われた出版記念祝賀会では、「かつて世話した留学生なども来てくれて、非常に懐かしかった」と相好を崩す。日本の関係者やブラジルの県人からも届く多くの感謝や称賛の言葉には「やはり、嬉しい」と正直な感想も。 
 徳永さんの地道な活動はマスコミの脚光を浴び、県の地元紙「宮崎日日新聞」やテレビ局などでも取りあげられた。宮崎公立大学からは、講演の要請が舞い込んだ。 
 「日系社会や移民を通した宮崎県の歴史を現代の若者に伝えられれば」とその思いを語る。
 「大変素晴らしい内容」と人文研の宮尾進元所長も太鼓判を押す同書は、宮崎県人や希望者には無料配布される。詳しくは宮崎県人会(電話=3208・4689)まで。